髪結い
櫛を通す前に、手で軽く梳く。指に引っ掛かる絡まりは意外と簡単に解ける。以前、何故かと問えば、そういうものなのだ、と答えになっていない応えが返ってきた。髪を伸ばせば判る、と。
伸ばす気も無いので、きっと知ることはないのだろう。
複雑な絡まりはあまり無いが、決して滑らかで無い髪質は、指にキシキシと絡みつく。いつも思うが、痛んだ髪は無機質なものに思える。
軋む手触り、くすんだ色、不揃いな長さ、あべこべに跳ねた毛先。この髪を切ったのは鋏か、それともレーザーかライトセイバーか。この人のことだから、クリーチャーや獣に食われたと言い出すかもしれない。
手入れなどされていない痛んだその髪は、しかし彼という一個の存在として欠かすことのできないものであり、また彼全体としてみると不思議なほどの魅力を持った。
近くで見て触れると無愛想で素っ気無い無機物のくせに、離れ触れることができなくなった途端にまるで生命を吹き込まれたようになる。彼の動きに合わせ、跳ね、流れ、広がる。
特に戦闘の際には際立って活き活きとしている。
手で軽く梳いた後、櫛を通す。黒い櫛の目は粗く、少しずつずらしながら何度も梳く。跡はすぐに消えていった。
少し丸まった背。広い肩。長い、髪。
パダワンになりたての頃に、マスターのあまりに適当すぎる髪の纏め方に、見ていられなくて思わず留め具を奪ってしまったのが始まりで、すっかり毎朝の日課になった髪結い。
当時のオビ=ワンの背丈では椅子やソファに腰掛けたクワイ=ガンの頭に手は届かず、自分がやります、と一生懸命に言い募る新しい弟子にクワイ=ガンは柔らかく苦笑しながら、床に座り込み、更にそのピンと伸ばされた背を丸めてくれたのだ。
当時を思い出せば、申し訳無さと恥ずかしさに今でも顔が火照ってしまう。かつての自分の仕出かしたことなのだが、子供とは本当に恐ろしいものだ。
自分の成長と共に、クワイ=ガンの背の丸みがとれた。
しかし椅子に座ってもらうようになると、再びその背は丸くなった。
今では椅子やソファに掛け背筋を伸ばした状態でも十分に手が届く。ただ何時まで経っても立たれるとどうしようもなかったが。
椅子に腰掛けるその背が今でも時折少しだけ丸まることがある。クワイ=ガン・ジンの背の丸くなった状態など滅多に見れるものではない。それが少しだけ嬉しく、少しだけ哀しかった。
一通り櫛を通し、すっかり落ち着いた髪を、再び手で梳く。櫛を通す前より滑らかに指を滑る。それでもやはり、無機質めいている。
いつも通り、前髪である部分を頭頂より少し下で束ねる。留め具に髪が絡まないように、慎重に。
自身にさせると、外した留め具に沢山の髪が絡まっており、自分が結った時は絶対にあのようなことにはしたくはなかった。
戦闘中に外れたり、彼自身で留め具を外す時は仕方が無いのだが、なにもあんなに毟り取るようにしなくても良いのに。かつてそう思い、何度か注意してみたのだが、改善される様子はなく、外せる時は自分が外す以外に方法は無いのだろうとすっかり諦めがついてしまった。
不器用なマスターは、結ってくれる人がいると自分で結わない。
ナイトになり伸ばし始めたらしいが、マスターになり最初のパダワンを取るまでずっとドゥークー伯爵が結っていたという。ザナトスがいた時は彼が。彼らがいない時は、誰かしらが結った。
恐らく見ていられなかったのだろう、あの酷い纏め方を。纏めずにそのままだったのかもしれない。見ていて暑苦しいと思ったのか、それともなにか別の理由か。
若い頃の彼の姿を知ることはない。その頃の手触りや色、匂いは決して自分が知ることができないものだ。
灼熱に焼かれ、吹雪に凍り、酸に爛れ、砂塵に舞い、雨に濡れてきたものしか自分は知らない。厳しい自然と戦場を潜り抜けてきたものしか知らないのだ。
触れてみたいと思う。柔らかかったのだろうか、滑らかだったのだろうか。それとも今のとたいして変わらないのだろうか。どうしようもないことだと判っていても。
そうしてすぐにその思いを消す。消えていないかもしれない。隠しているだけなのかもしれない。ただ、その思いが見えなくなれば良いのだった。
纏めた髪を留め具で留める。その部分を掌に乗せ、仕上げとばかりにこっそりと口付けを送る。ささやかな報酬として。
「マスター、終わりましたよ」
「ああ、ありがとう」
クワイ=ガンが立ち上がり、先ほどまで手の中にあったものは、もう届かない。
それはやはり憎らしいほどに、魅力的に見えるのだった。
FIN