Calling You
バンブルビーは予測していた。自分にとって嬉しくないことがこれから起こるのだろうと。
それはきっと不可避で、だからこそバンブルビーは何をも受け入れる覚悟をしていた。オプティマスを送り出した時から、そう、覚悟していたのだった。
オプティマスの態度。ラチェットとアイアンハイドの反応。基地に設置された、大幅に改良を施し自分達用にカスタマイズしたメインコンピューターが打ち出した情報。
そしてなによりも、自分の感覚中枢が間違いなくそうだと叫んでいた。
バンブルビーの生体反応センサーはオプティマスと、もうひとつ彼に添うものがいることを告げていた。それが誰なのかも。
安堵と共に感じるのは、酷い嫌悪感と怒りだ。そして恐怖。それは自身のものではなく、オプティマスの隣にそれが存在することへの恐怖だった。
バンブルビーにとって、それは略奪者でしかない。たとえ、その反応が以前の禍々しさを失っていようともだ。
ラチェットとアイアンハイドの態度から、それは杞憂なのだろうと論理中枢が告げる。しかしバンブルビーの中のその恐怖と憎悪は消えることなく燻り続け、反応が近くなるほどに大きくなっていった。決めたはずの覚悟が大きく揺らぐ。
「バンブルビー」
名を呼ばれ、はっと意識を戻す。溜め息と共に優しく頭に手を乗せ、アイアンハイドは無理をするな、と言った。
バンブルビーは小さく頷き、ゆるく微笑んでみせたが、アイアンハイドは再び溜め息を付くのだった。
「もうすぐ着くな」
何も言わずにモニターを見ていたラチェットが、そう一言残して部屋を出て行った。
「行くのか」
「アイアンハイド」
駆け出そうとするバンブルビーの行く手を遮り、アイアンハイドは厳しい口調で問うた。
そのどうしようもない優しさがバンブルビーの感情回路を駆け巡った。恐怖が少し和らぐ。
「逃げたくない」
しっかりと言えただろうか。彼が、彼らが受け入れ難い事実に向き合った時のように、力強くはっきりと、己の意思を伝えられただろうか。
今、目を逸らせたところで事実は何一つ変わらないのだ。バンブルビーが認めようと認めまいと、何一つ変わりはしない。バンブルビーは嫌というほどそれを知っている。嫌という程思い知らされた。
じっと自分を見つめる青い眼差しに、アイアンハイドは自分の心配は無用なのだろうと感じた。強い意志と、その奥底に燻る深い不安と恐怖。しかし乗り越える為の覚悟は確かにある。
絶望や恐怖、哀しみは己の覚悟など嘲笑うが如く、あっさりと崩してしまうものだ。しかしバンブルビーならばきっとその先へ進めるだろう。
アイアンハイドはひとつ頷き、身体を少しずらした。その脇を黄色い身体が擦り抜けて行く。その背を見ながら彼もまた、駆け出した。
フーバーダムの基底部入り口近く、丁度凍結したメガトロンが置かれていた場所に、三人は並んで立っていた。
交わす言葉は無い。バンブルビーはその無言がありがたくもあり、またその逆でもあった。思考回路が必要以上に働き、パルスが渦を巻き底なしに沈んでいくようだった。しかし、何も考えないでいるというのも恐ろしかった。
ラチェットとアイアンハイドは普段と変わらないように見える。しかし彼らにはどこかでそれを待ち望んでいる。浮かれている訳ではない。喜んでいる訳でもない。決して歓迎はしていない。だけれども、彼らは待っている。待っていたのだと、バンブルビーは二人の雰囲気から感じ取っていた。
沈黙は思考を促す。バンブルビーが深い思考の沼に沈みかけたころ、それはやってきた。
センサーが激しい警告を発する。それは敵を、特に憎く恐ろしい怒りと恐怖の対象を示す警告だった。平和を破壊し、声を奪い、そしてジャズを殺したメガトロンは、バンブルビーにとって最大の敵、なのだ。
近づいてくる。その憎き敵が、至上のひとを抱きかかえ飛来してくる様が、バンブルビーの視覚センサーにはっきりと映った。
揺らぐ。バンブルビーの中の色々なものが大きく揺らぎ、ぶれた。
三人から少しの距離をおいて、銀色の機体は止まった。数歩で触れる距離だ。その銀の腕からそのひとはゆっくりと離れ、自らの足で立つ。寄り添うように二人はそこに並んだ。
しばらく沈黙が続いた。バンブルビーは拳を握り締めていた。
「おかりなさい、と言うべきですかね」
口火を切ったのはラチェットだった。
「ラチェット」
それに答えたのはオプティマスだ。答えたというよりはただ、名を呼んだだけであった。
「私からは何も言うことはありません。おかえりなさい、オプティマス」
「ああ・・・ただいま。・・・すまなかった」
切欠は多分、その謝罪の言葉だ。バンブルビーはその言葉を聞いた瞬間、駆け出し、ビークルモードになり基地を飛び出していった。
見たくない。聞きたくない。視覚センサーも聴覚センサーも全て閉じてしまいたかった。
自分の持った覚悟など、これっぽっちも役に立たなかった。
オプティマスの隣に立つメガトロンの姿は、バンブルビーが想像し覚悟していたよりも強烈な恐怖と哀しみを彼に与えた。
黄色いカマロは走りながら叫んだ。何故。何故、と。故郷の言語でのその叫びは激しいエンジン音に混じり、意味の無い音となって消えていった。
「バンブルビー!」
「追うな、オプティマス!」
猛スピードで走り去る黄色いカマロをオプティマスは追おうとし、しかしそれは黒い機体の叫びに阻止された。隣に立つメガトロンは沈黙を守っている。
「アイアンハイド!何故止める!」
今にも駆け出しそうな自分を辛うじて論理回路が止めているのだろう。焦り、そして怒りの混じった声が響いた。
「落ち着いてください、オプティマス。今、貴方が行ってあの子に何を言えるのです?」
その問いに答えたのはアイアンハイドではなく、ラチェットだった。彼の声は静かで淡々としていた。滲み出るものは紛れも無く、怒りだ。それがオプティマスの感情回路を少し冷やした。
「何・・・を」
「そうです。何を言うおつもりですか。貴方は知っていたはずです。あの子が・・・彼のことをどう思っているのかを。それを知りながら貴方は選んだのでしょう。そんな貴方が何を言えるというのです?」
「・・・すまない」
「謝罪はいりません」
ラチェットはぴしゃりと言い切った。彼に容赦は無かった。今回のことは完全に割り切れるはずなどないのだ。幾億の同胞の死は過去ではあるが、事実なのだから。
オプティマスは完全に黙り込んでしまった。それを一瞥し、ラチェットは相手を変える。
「お久しぶりですね、と言えばよろしいか」
「相も変わらず容赦の無いことだな。久しぶりも何も、俺は何も変わってなどいない。よもや戻った、などと思っている訳ではあるまいに白々しいことだ」
「なるほど。それは残念です」
「ふん。聞きたいことがあるならさっさと言え」
「私が聞きたいことなど、たったひとつしかありません。分かっているのでしょう」
「・・・聞かないのか」
「必要ありません。私はそれを受け入れると決めた。だから聞きません。医者として喜ぶべきことであり、歓迎すべきことです。私の感情は二の次で良いのです。そんなものに拘っていてはとてもやっていけませんからね。貴方達がそう決めたのならば、私はそれに従うと決めているのです。そんなことよりも私にはすべきことがある」
「オプティマスに渡したチップを使え。方法が分かれば貴様なら使いこなせるはずだ」
「ジャズか」
アイアンハイドがここで始めて口を開いた。彼はずっと黙ったまま、成り行きを見ていた。
オプティマスがのろのろとした動作でラチェットにチップを渡す。その瞳を見て、ラチェットは少し言い過ぎたか、と思ったが、すぐにこれで良いのだと思いなおした。
渡されたチップを眺める。なんの変哲もないメモリーチップだ。この星のコンピューターでも十分解析可能な程度の情報しか入ってなさそうだ。こんな程度なのか。ラチェットは複雑な気持ちになった。
「メガトロン。貴方に任せたい。私はまだ知りたくない」
小さなチップを指で器用に摘まみ、ラチェットは言った。誰もがその言葉に驚いた。
メガトロンにジャズの蘇生を頼むということも驚きだが、それよりも知識欲の塊とも言えるラチェットが誰よりも何よりも知りたかっただろう事を知りたくない、と言ったことの方が大きな驚きを齎した。
「ラチェット?」
微かな非難の響きを滲ませ、アイアンハイドが問うた。
「勿論、メガトロン、貴方が無理だと言うのなら私が行います」
「恐ろしいか」
「・・・ずっと知りたかった。しかし実際手にしてみるとその恐ろしさが際立つ。踏み込む為の勢いは、貴方がいることで削がれてしまった」
「俺があれの蘇生を行うことの方が恐ろしくはないのか」
「私は彼を、ジャズを信じているからね。それは恐ろしくはない」
「お前達はどうなのだ?」
メガトロンがアイアンハイドとオプティマスに問う。最大の敵であった自分に、大切な仲間の蘇生を任せても良いのかと。
そこになにかしらの意思が入り込む、そう捉えるのが普通だ。
「俺は詳しいことは分からん。しかしラチェットが良いと言うのならば構わんだろう。・・・貴方に任せたい。アレの為にも、それが良いと思う」
アイアンハイドがラチェットに賛同する。
オプティマスは黙ったままだ。
「オプティマス、お前はどうなんだ」
再度、問う。彼はゆるゆると頭を振り、そうして頼む、とぽつりと言った。
「・・・仕方があるまい。行くぞ」
センサーを頼りに勝手知ったる様子でメガトロンは歩き出した。後をラチェットが続く。生体反応ではなく、物質反応をサーチする。セイバートロン製のボディはそのセンサーに一際大きく反応していた。
ダム基底部にある基地内を進みながら、メガトロンは思考した。
オプティマスは本当は自分に任せたくはないのだろう。彼こそが最も自分を警戒していることをメガトロンは知っていた。そんな彼を動かしたのはアイアンハイドの言ったアレの為、という言葉なのだろう。自分の姿を見るや、飛び出して行った黄色く小さいオートボット。かつての戦いを思い出し、メガトロンは小さく笑った。蛇蝎の如く嫌われたものだと。
それだけのことをしてきた。しかしメガトロンはそれを謝罪するつもりも後悔するつもりもない。許しなどいらないのだ。罰せられるつもりもない。それが出来るのは唯一人だけだ。
しばらくして目的の場所に到着した。
「ここだな」
「ええ」
扉を開け、中に入る。
それは中央の寝台の上にあった。
「本当に良いのだな」
「お願いします」
「この情報はメモリーに留めておくことはできん。俺も薄れてきている」
「でしょうね。しかし私は知ることが、恐ろしいのですよ。知ったという記録だけが残ることがね」
「ふん」
自分が引き千切ったはずのそれは、すっかり元通りの姿でそこにあった。
入り口付近に残っていたオプティマスとアイアンハイドは、しばらく無言でそこにいた。
「オプティマス」
「アイアンハイド・・・すまないな」
「いや。これで良かったのだ」
「私は・・・」
「我々が行ったところで何もならない。あの子を迎えに行けるのはあいつだけだ。貴方だけではない。俺もまた、同罪だ。・・・さあ、中に入ろう」
アイアンハイドが歩き出し、その後にゆっくりとオプティマスが続いた。
*****
バンブルビーはひとり、丘にいた。周囲に人は居ない。擬態を解き、背を丸めて座っていた。
すっかり日が落ちてしまった。周囲は薄暗くなっている。天気が良いのだろう、薄紺の空には恒星が小さく瞬いていた。
バンブルビーは激しく後悔していた。逃げ出してしまった自分が腹立たしい。しかし、少し冷静になった今でもあの場に居ればどうなっていたか、分からない。
きっと彼らは敵の首領であった者を受け入れただろう。ならば自分も受け入れなければならない。それは分かってはいるが、やはり感情は追いつかなかった。
あれだけ自分の大切な者達を奪って、最愛の人を奪って、そして至上の人までも奪うのだ、あの男は。
そんな考え方はいけないと分かっていたが、思考回路は止まってはくれなかった。哀しい苦しいことばかりを打ち出してくるのだ。
人間だったならば、泣いているのだろう。友人のサムやミカエラを思い、流れるものの無い目に触れる。青い視覚センサーはただ触れる指の情報をバンブルビーの中枢に送るだけで、何も流さない。
ジャズが生きていたならば。彼がいたならば、自分はメガトロンをこれほど苦しむことなく受け入れられただろうか。
馬鹿だな、と笑って自分の苦しみを和らげてくれただろうか。
もう、記憶の中にしかいない。死ぬとはそういうことだ。もう二度と会えない。記憶の中で生き続けるなど嘘でしかない。もうどこにも居ないのだ。
「ジャズ」
ねえ、聞こえてるかい?
「ジャズ」
聞こえてる?聞こえていたらいつか返事をください。
「ジャズ。ジャズ」
ねえ。
「・・・ジャズ」
「バンブルビー。そう何度も呼ぶなよ。聞こえてるぜ。ちゃんとセンサーを作動させているか?隙だらけだぞ」
「え・・・」
慌てて振り返ると、そこに薄明かりに浮かぶ銀色の小柄な身体があった。
思考回路が全く事態に追いつかない。
「すごい顔をしているぞ、バンブルビー。どうした?おばけでも見たような顔をして」
「え・・・あ・・・」
バンブルビーの動揺に気付いているのだろう。しかし銀色の男は構わず自分の言いたいことを続けた。
「なあ、バンブルビー。声、出せるようになったんだろ?名前を呼んでくれよ」
「あ・・・あ・・・」
「なあ、ビー」
「あ、あ、あ・・・ジャ・・ズ・・・ジャズ!ジャズ!」
バンブルビーは弾けるように飛び起き、そして思いっきりジャズに飛びついた。
ガンッと鈍い金属同士がぶつかる音が響いた。生身の身体だ。生身のジャズだった。
「ジャズ!ジャズ!ああ、ジャズ・・・ほんとにジャズなんだね?嘘じゃないよね?」
「ははは。ビー、少しは手加減してくれよ。そうだよ。本物の俺だよ。・・・ただいま、バンブルビー」
「ジャズ・・・おかえり・・・おかえり、ジャズ」
ぎゅっと強く抱き締めた。同じような力で抱き締め返され、バンブルビーは泣きたくなった。分からないが、きっと泣くとはこういうことなのだろう、と思った。
ジャズにしがみ付き、バンブルビーはずっとうわ言のように彼の名前を呼び続けた。
もうすぐ夜が明ける。空は再び、薄暗くなっていた。東の空が色付き始め、日が昇ろうとしていた。
FIN