弔いのひと
アイアンハイドはひとり、切り立った断崖にいた。不用意に目立ってはいけないのは分かっているが、擬態を解いてロボットモードでその場に立つ。用心の為、センサーは最高感度にしておく。
眼下では荒い波がしぶきを上げ打ち寄せていた。
この波のひとつひとつが彼らに繋がっている。今はもう深い海の底に沈んだディセプティコン。オートボッツの敵。かつて友として戦場を駆けたこともあった。かつてその姿を敬意と羨望の眼差しで見ていたこともあった。
アイアンハイドはゆるゆると頭を振った。過去は過去だ。最早彼らは憎しみと怒りの対象でしかなかった。多くの同胞が彼らによって帰らぬ者となった。
勝気で陽気。大胆にして繊細。無遠慮でいて人の機微に聡い男だった。
ジャズ。友との永遠の別れには慣れているはずだった。なのにどうだ。彼との別れを今だ引きずっている自分がいる。
この星に腰を下ろすことにした自分達。未発達で幼い文化と文明の世界だが、彼はきっととても気に入り愛するはずだ。人間の言う魂とやらが自分達にもあるのならば、穏かな笑顔を浮かべ彼はこの世界を見守っていることだろう。そう思うことがアイアンハイドにとって今出来るささやかな自分への慰めであった。
愛した戦友の死を。倒すべき敵の主要な者達の死を。こんなにも考えたことはあっただろうか。
それは何故か。アイアンハイドは静かに思った。それは誰にも、たとえオプティマスに対しても言えないことだ。いや。彼にだからこそ、言えない。
平和がアイアンハイドにもたらしたものは、大きな喪失感と、空虚な想いだった。満足感は小さくあっさりと消えてしまった。
思えば戦っていた頃は、ただディセプティコンへの怒りが全ての気持ちを包み込み忘れさせてくれた。友を無くした哀しみも深く思考する前に、かたきへの強烈な敵意へと変わった。その怒り、敵意のまま、戦っていれば良かった。
深く思考するということは、辛い。回路がオーバーヒートを起こしてしまいそうになる。それは決してアイアンハイドの思考回路が単純なものという訳ではない。向いていないだけの話だ。彼は戦う為に生み出された。
それでも、たとえ自分に不適応な環境であろうと、大切な者達の望みと喜びの為に慣れてゆかなくてはならない。彼の護るべき最も大切な者は平和をずっと望んでいたのだ。己の命も顧みぬほどに。
だから、もう彼らのことを考えるのは止めにしよう。死した者は戻ってはこない。自分は新たな世界をゆかねばならない。
アイアンハイドは空を見た。青い。アイアンハイドは武器以外に対しそういった感情はあまり働かないが、それでも一面に広がる青空は美しいと思った。
一度小さく笑い、そうしてアイアンハイドはかつての世界をメモリーから引っ張り出した。
懐かしい。今はもう知るものは少ない、遠い過去だ。オプティマス・プライムがいて、メガトロンがいた。彼らがその頃愛し合っていたなどと、きっとその時代を知らない者は信じないだろう。二人は確かにお互いを思いやり支えあっていたのだ。
アイアンハイドにとってメガトロンは崇拝にも近い敬意を抱く相手だった。圧倒的な強さとカリスマを誇る防衛司令官は彼の上官だった。オプティマスの護衛官に抜擢されるまで、彼の一番はメガトロンだった。
オプティマスの護衛に就いて、彼のことを知るにつれ、アイアンハイドの中で一番は二人になった。二人は共にいるべきだと強く思うようになっていた。
*****
それはメガトロンによるクーデターの前日のことだった。
彼は珍しくアイアンハイドの執務室に訪ねてきた。国家元首の執務室の隣にあるその部屋は小さいながらもそれなりに快適な場所だ。
その日暇を出されていたアイアンハイドは、どこにも行かずに主の傍にいた。自分の執務室に篭り、任務に必要なデータの整理をしていた。他の護衛官が彼を護っているのは知っているが、それでも傍に控えていたかった。
センサーの感度を最高にしていたので、彼が訊ねてきたのはすぐに分かった。仕事に関することだと思っていたが、彼の態度からそうではないということが知れた。
メガトロンに椅子を勧めながら、では一体なんの用なのだろう、とアイアンハイドが考えていると声がかかった。
「いきなりすまんな」
「いえ。そんなかまいません」
尊敬する上官に謝りの言葉をかけられ、アイアンハイドは心底驚いた。とっさに出た言葉に自ら恥じる。もっと他に言い方があるだろうにと。
そんなアイアンハイドにメガトロンは笑った。悪い笑いではなかった。
「そうか」
「ええ。貴方が何を遠慮なさることがあるのです」
「相変わらずのようだな、アイアンハイド。仕事は上手くやっているようだな」
「ありがとうございます、閣下。貴方にそう仰っていただけるとは光栄です」
「ふむ。時にアイアンハイド。ひとつ聞いておきたいことがある。良いか」
「どうぞ、なんなりと仰ってください」
アイアンハイドは深く礼をした。メガトロンは頷き、彼に座るようにと言った。再びアイアンハイドは礼をし、先ほどまで座っていた椅子に腰をかけた。
メガトロンは穏かながらも強い意志の篭った眼でアイアンハイドを見ていた。そこに灯るのは虚偽を決して許さない光だ。アイアンハイドは居住まいを正し、神妙にメガトロンの言葉を待った。
「アイアンハイド。お前が護るべきは誰だ?」
今更な質問だと思った。それを今何故聞くのか、アイアンハイドには分からなかった。しかしメガトロンがわざわざ訊ねてまで改めて聞くことだ。答えなくてはならない。
簡単な質問だ。答えはひとつしかなく、すぐに出る。
「我が国家元首、オプティマス・プライム。その人です」
「うむ。それは任務か、それとも・・・私情か」
今度は難しい質問だった。任務で良いのだろうが、アイアンハイドはすでに任務を超えたところでオプティマスを護りたいと思っている。しかしそれを正直にメガトロンに答えて良いのだろうか。
アイアンハイドはしばし思考した。メガトロンは黙って答えを待っていた。
答えは出た。メガトロンに彼のことで何かを偽るのは、アイアンハイドはそれがたとえどのようなことであっても、いけないことだと思った。
「・・・任務でありますが、私情でもあります。私はあの方がたとえ国家元首でなくとも、お護りしたいと思っております」
「・・・あれを護ってくれるか」
「はい。どこまでもお護りいたします。オールスパークと、そして貴方にかけて」
メガトロンの眼光が一度消え、そしてゆっくりと灯る。深い吐息がその口から漏れた。
「安心した。このような事を聞いてすまんな。お前には今更だったようだ」
そう言ってメガトロンは席を立った。出て行こうとする背にアイアンハイドは声をかけた。何故か今聞いておかないといけない、と思ったのだ。
「閣下。貴方は・・・貴方の護りたいひとは、あの方ですよね?」
メガトロンは振り向いた。ゆるりと笑ったように見えた。
「無論だ。俺はあれ以外を護る気はない」
「申し訳ございません。今更でした」
「いや、良い。そうだな。俺も言っておきたかったのかもしれん。俺が護るのはオプティマスだけなのだと」
「閣下・・・」
「では俺は行く。アイアンハイドよ。今日のことを決して忘れてくれるな」
「忘れません」
とてもではないがアイアンハイドは忘れられそうにはなかった。記憶回路に厳重に保管されるだろう。メガトロンがアイアンハイドに初めてみせた本音だ。忘れるなど、考えられない。
アイアンハイドは深く礼をして、メガトロンが部屋を出て行くのを送った。扉が閉まり、アイアンハイドは顔を上げる。部屋にはアイアンハイド以外誰もいない。
アイアンハイドは思った。これはきっと言わなくて良かったことだろう。自分はオプティマスと同じ様にメガトロンのことも護りたいと思っているのだと。彼らの強さは十分に知っているが、それでも、アイアンハイドは護りたいと願うのだった。
*****
アイアンハイドは眼下を見た。切り立った崖をしぶきを昇る。荒々しい海だ。
「メガトロン・・・いや。メガトロン様。貴方は護ると仰った。なのに何故だったのですか。何故このようなことになったのですか」
声に抑揚はない。淡々と静かにアイアンハイドは問う。応えはない。
「ずっとお訊ねしたかった。何故、と。しかし貴方が亡くなりその答えを永遠に聞けなくなった時、私は思いました。知らない方が良いのだと。今は貴方の答えが恐ろしい。それはあの方を私達の決して手の届かないところへ連れて行きそうです。あの方は私が全てをかけてお護りいたします。メガトロン様。貴方の答えが想像通りでないことを私は願います」
アイアンハイドは深く息を吸い込んだ。目を閉じ頭をゆるゆると振る。息を吐き出す。目を開き、その両の目に灯る青い光に、海の青を映した。
しばらく海を見ていたアイアンハイドは、夕日が沈む頃、後ろを振り返りしゃがみ込んだ。足元に置いていたものを取る。大きい指にそれはあまりに小さく儚い。そっと、最大限の注意を払う。
二本の無骨な機械の指に摘まれているのは、小さな花束だった。その花の名をアイアンハイドは知らない。知ろうとも思わない。
この花束を用意したのはレノックスの妻だった。アイアンハイドが何をしに行くのか知らなかったはずの彼女は、出掛けに庭で育てていた花で小さな花束を作り、アイアンハイドに渡した。どうぞお持ちください、と言って微笑んでいた。その隣でレノックスも帰って来い、酒を飲もうぜと言って笑っていた。
夜に戻る、と言い、助手席に花束を置いてアイアンハイドは彼らの家を出た。レノックスの腕の中で幼く小さなアナベルがこちらを見ていた。
その花束をアイアンハイドは崖下に落とした。花束はすぐに落ちてゆき、小さな白いしぶきを上げ、消えていった。
それを見届け、アイアンハイドはビークルモードになった。エンジンを二、三空ぶかし、その場から去る。
「私達は死者への弔いに花を捧げます」
「誰であろうと死んだ者を弔うことに罪はないぜ」
幼い未熟な生命体である彼らは、思ったよりもずっと強いのかもしれない。
アイアンハイドはレノックス宅への道すがら、己の記憶回路の一部を閉じ、ブラックボックスへと移した。消去することの出来ない自分を愚かだと思いながら、これで良いのだとアイアンハイドは思った。
FIN