忘れず、振り返らず
激戦の後。セイバートロン中立地帯の酒場での一幕。
キィ。古びたドアが軋んだ音を立てて開いた。現れた人物に、ふとそちらを見た客のひとりが軽く頭を下げた。それを見た他の客達が何かと入り口を見、そして皆、先の男と同じように軽く頭を下げるのだった。それだけだ。そうしてその酒場に居る客達はまた何事もなかったように、それぞれの世界に帰っていった。
そこは無言ではない。しかし煩くもない。邪魔をしない。それだけがここでのルールだ。それさえ守れば誰も何をしようと咎めない。もっとも、他人の邪魔をしないというルールを守っていれば、何事も起こりようが無いので咎める必要もなかった。
新たな客である男が空いている一番奥の席に向かって歩き出した。申し訳程度に置かれた小さなテーブルとそれに向かい合う古びたソファがふたつ。男は店内を見渡せる方へと腰をかけ、両の肘を掛け胸の前で緩く手を組み、そっと目を伏せた。
マスターがやって来て、テーブルの上にエネルゴン酒のビンとグラスを乗せ、去って行った。
しばらくして、男が手を離し、目を開いた。小さなテーブルは置かれたもので既に一杯になっている。もうひとつ、グラスが乗ればもうそれで終わりだろう。
ビンを手に取り緩く揺すった。たっぷりと入っている中身がちゃぷちゃぷと揺れる。蓋を捻る。かちりと軽妙な音が立った。蓋を外すと、小さな口から濃厚な酒の香りが溢れ出て、嗅覚センサーを擽った。酒気だけで弱いものなら中てられてしまうだろう、濃い酒精の香りを男はしばし楽しんだ。目を細め、くるりと手の中のビンを揺らす。香りは一層深くなった。
香りを楽しむ事に飽きたのか、男はビンを傾けグラスに中身を注ぎだした。自ら発光しているかのようなパープルの液体がとろとろとグラスを満たす。その明るさは薄暗い店内にあって、あちらこちらでその存在を主張している。
たっぷりと注がれたグラスを手の中で回し、そして男は一気にそれを煽った。ごくごくと喉を鳴らし、全て飲み干す。冷たい液体が、体内でまるで内部から焼き尽くすような灼熱の塊となる。その熱はすぐに体中を駆け巡った。そして熱はゆっくりと収まり、程よい酩酊感が残った。
空いたグラスをテーブルに置き、そこで男は一息吐いた。この時勢にこれだけの強さの酒である。法外な値段を取られるが、それだけの価値はある。男は何時だってこの酒場を好きに出来る力があったが、それをしなかった。他の客と同じようにふらりとやって来ては、違法酒を飲み、そして法外な請求額を支払って帰るのだった。
男は空になったグラスに手酌しで酒を注いだ。今度はゆっくりと味わうように飲む。そして店内をゆっくりと見渡した。相も変わらず、おかしな店だ。そう思い、少し口元歪めた。
そしてまた、空になったグラスに酒を注ぎ、煽る。飲む速度は更にゆっくりとしたものになった。
キィ。再び、店に新たな客の来訪を告げる音が響いた。客達は先ほどの男へのものと同じ対応を取った。新たな客――サイバトロン総司令官コンボイ――は真っ直ぐに奥の席へと向かった。軽く頭を下げ、再び自分の世界へ帰るかと思われた客達は、しかしひとり、またひとりと席を立ち、そして店を出て行った。それぞれのテーブルにはエネルゴンチップとグラスが残されている。
コンボイは男の前の古びたソファに座った。その酒場の客は二人だけになった。
マスターが無言でグラスをテーブルに置き、空になったビンを新たなものへと取り替えた。
「すまないな」
コンボイがマスターに礼を言う。マスターは特に何の反応をすることなく、静かに去って行った。居なくなった客達の残したものを回収し、カウンターに戻って行く。その後姿を見送って、コンボイはほうっと溜め息を付いた。
「皆、居なくなってしまったな」
断りもせずにコンボイはビンを手に取り、蓋を開け、その中身を新しいグラスに注いだ。そして男の空のグラスにも、同じ量を注ぐ。
「仕方があるまい」
男がふん、と鼻で笑い、グラスを取る。それを見届け、コンボイはそうだな、と返し、そしてグラスの中身を一気に煽った。男は少しだけ口に含んだ。
「流石だな、メガトロン。良い酒だ」
一気に飲み干したグラスをテーブルに置き、コンボイは目の前の男に笑いかけた。男――デストロン破壊大帝メガロトン――はグラスを少し口から離し、当然だとにやりと笑った。
このような酒場に来るのは、サイバトロンであれデストロンであれ、いわゆる変わり者と呼ばれるような者ばかりだ。場末の寂れた違法酒場。更に中立である以上、両軍共に仇の顔を見ることになる。そんな場所に自ら好んで来る者は酒好きか、物好きくらいだ。そして彼らは知っている。自分達が行っていることが戦争である以上、敵である者を殺すのも、殺されるのも当たり前のことなのだ。そしてその敵対する者達は、自分達となんら変わりのない同族なのだとも知っていた。諦めている、と言っても良いのかもしれない。もしくは、疲れているとも言い換えられよう。
そんな者達が集まるような場所だ。酌み交わした者を次の日、殺すこともある。それでもこの場所は何も言わずに迎え入れてくれるのだった。
しかしそんな何者でも許容するような彼らでも、やはり許容し難いものはあった。それは許し難いという訳ではなく、見ているのが辛いという類の拒絶だった。だから彼らはそっと店を去るのだ。
サイバトロン総司令官コンボイとデストロン破壊大帝メガトロンが、この店で揃い、そして二人が酒を酌み交わすという場面は、彼らのブレインサーキットに余計なノイズを走らせ、心地よさを奪って行く。ひとりならば受け入れるのだ。しかし二人揃ってはいけない。
特にこんな日は。
二杯目を注ぎ、コンボイがそれを煽る。勢い良く無くなっていくパープルの液体に、メガトロンは自分もゆっくりと液体を減らしながら、仕方が無いことだ、と苦く笑った。
空になったグラスに今度はメガトロンがビンを傾けた。すまない、と言って再び煽るコンボイに、メガトロンはゆっくりと飲め、と軽く咎めた。
「既に一本空けたお前に言われてもな」
「お前が来る前にどれだけ時間があったと思っておる」
「それもそうだな」
大人しく聞き入れる気になったのか、コンボイのピッチが下がった。少しの量を口に含み、そしてゆっくりとソファに沈んだ。古びてはいるが上質のそれがコンボイを包み込むように受け止める。嚥下し、ふう、と息を吐いた。
メガトロンは体勢を崩すことはなかった。相変わらずゆっくりとグラスを傾ける。無言で二人はグラスの中身を時間を掛けて空にしていった。
メガトロンが空になったグラスに酒を注ぐ。コンボイが無言で差し出すグラスにも注いでやる。面倒なのでたっぷりと注ぐ。慎重に口元へ運ぶその姿が滑稽だった。
一口飲み、メガトロンは口を開いた。
「コンボイよ。名は何と言う」
落ち着いた低い深みのある声が、静かな店内に小さく響いた。マスターはただ静かにグラスを拭いている。聞こえてはいるのだろうが、聴いてはいないだろう。
すぐに応えは無かった。グラスの液体を半分ほど減らし、コンボイは口を開いた。こちらも穏かで、そして落ち着いた声だ。低く響く。
「○○だ」
それだけ言って、コンボイはグラスに口を付けた。
「ふむ、そうか。覚えておこう」
メガトロンもまたそれだけ言い、手の中のグラスを口元へと運んだ。
先日の戦いでサイバトロンは撤退を余儀なくされた。その際、殿を務めたのがその男だった。コンボイを、生き残ったサイバトロンを逃がす為、男は残った。帰れぬと知りながら、自ら残ったのだ。
コンボイは彼に頷き、後ろを振り返らずに逃げた。助けるべきだと主張する者を一蹴し、命令だと言い撤退させた。お陰でその時点での生存者は皆帰ることが出来たが、何人かがサイバトロンを去ったことをコンボイは知っていた。
好きにするが良い。コンボイは去る者を追うことはしない。何故見殺しにしたと罵られようと、反論しなかった。ただ、自分は総司令官として多くの命を救う為にあらねばならないのだ、とそう言う。そして好きにするが良い、と言うのだ。
そうやって去って行った者達が第三勢力として、この停滞した戦線を変えてくれるのならそれで良い。民間に戻るのならばそれでも良い。出来るだけ穏かに暮らせるようにとコンボイは祈るだろう。そしてデストロンに組するのなら、敵として全力で倒すだけだ。
「メガトロン」
コンボイがソファから身体を起こし、口を開いた。テーブルに置かれたグラスは空になっている。
「なんだ」
「覚えていてやってくれ」
「今更だな」
「・・・」
「見事なものだった。忘れられるはずもない」
「そうか」
「そうだ。お前が殺したデストロンを忘れんように、ワシもまた忘れることはない」
メガトロンがコンボイの空のグラスに酒を注いだ。そして自分のグラスにも注ごうとしたが、それは寸ででコンボイに奪われる。顔を上げるとコンボイが口元と緩めている。メガトロンは肩を竦め、自分のグラスに注がれるパープルの液体を見た。
「「乾杯」」
かちん、とグラスのぶつかる音が店内に小さく響いた。
FIN