スロウワルツ;ムーンリバー
落ち込むサンクラと慰めたいけどどうしていいか分からないぐるぐるリジェ。





夜の河辺に大きな影がひとつあった。
それは人に近い形をしていて、しかしそのものの形ではなかった。全体的に角ばったシルエット、背には羽のようなものがある。頭部は丸ではなく、どちらかというと四角い。そしてなにより、人ではありえないほどそれは大きかった。神話や御伽噺に出てくる巨人のように、彼らトランスフォーマーという種族は一部を除いて、人と比べてとても大きな身体を持っていた。
雲が流れ、月が姿を現す。おぼろげなその影が淡い光に照らされ、その色をぼんやりと浮かび上がらせる。

そこには彼以外何もなかった。人はその姿を見つけると、そそくさと逃げて行く。遠目にも分かるので、決して近付こうとはしない。
彼はデストロンで、人には敵として認識されているのだから当然だった。ひとつの種族のふたつの組織。トランスフォーマーという異星人はデストロンとサイバトロンに分かれ、地球人は前者と敵とし、後者を友としている。
地球人とトランスフォーマーの間にある力の差は絶対的なものだ。人はその圧倒的な力の前に己の無力を知る。諦める訳ではなく抵抗もするが、それは最早天災に近い。
そんな相手にあえて近付くような物好きも、今夜はいない。早くその場からその影が去ることを願い、人々は少しでも離れようと背を向け散っていった。
だからそこには彼以外誰もいない。彼がどんな表情をしているか知るものはいない。

リジェがそこへ向かったのは全くの偶然だった。最近の彼の日課が夜の散歩で、偶々河を見たいと思ってそこを選んだ。
リジェは明るい昼間より、暗い夜の方が好きだ。多くの矮小な有機生命体が活動を停止しているこの時間帯は、静かで落ち着く。しっとりとした空気は故郷に無いものだが、リジェは気に入っていた。
偶然であったが、その影を見た時、リジェはもしかしたらそうではないのかもしれない、と思った。論理回路はそんな訳があるかと否定しているが、感情回路がそうであったら良いと希望的観測を打ち出す。そんな矛盾をあっさりと処理出来るほど、リジェはその予測に慣れていた。
彼に会う時、自分はそれが全くの偶然でないことを期待しているのだ。
初め気付いた時には受け入れられず混乱した感情も、時と共に馴染んできた。嬉しく、好ましく思えるほどに。

淡い月明かりに照らされた背中が、どこか寂しげに見えたのも、そういった感情からきているのだろうか。
リジェは彼にそっと近付きながら思った。今が夜だからそう見えるのか、河辺で背を丸めているからそう見えるのか。視覚センサーを凝らしてみてもやはりどこか寂しげだった。
気付いているのだろうが控えめに声をかけると、振り返らずに小さく「おう」と返される。リジェは隣に行っても良いのか聞こうとしてやめた。何も聞かず、隣に腰をかける。
ちらりと横目で覗くと、彼――サンダークラッカーは体育座りをして立てた膝に顔を埋めかけていた。俯いた横顔に常の彼の表情は無い。赤い瞳がどこか沈んだ光を灯していた。

落ち込んでいる。それはリジェにもすぐに分かった。しかしこういう時どうすれば良いのかは分からなかった。リジェのデータベースに最良の処理の仕方は載っていない。どうにかして気持ちを浮上させてやりたい、などと思ったところでその手段が無い。
サイバトロンではリジェが誰かにそう思った時、それはすでに成されている。だからリジェがそれをする必要は無かった。その経過を眺め、良かったと人知れず安堵を零すのが常だ。
ここには人を慰める事に長けた副官も、笑わせ和ませ場を明るくする黄色い子供も、強がりを言って勇気付ける赤い無鉄砲者も、優しい辛辣さで叱咤する医者もいない。全てを包み込んで笑う司令官もいなかった。
リジェがそれを望むのなら、自身で行わねばならないのだ。
どうすれば良いのだろう。なんと声をかければ良いのだろう。リジェはじっと目の前の暗い河を見ながら思考した。
メモリーを思い返せば、何時も慰められているのは自分だった。サンダークラッカーは何故かそういうことに敏いようで、彼と一緒にいると何時の間にか嫌な感情が回路から消え失せている。会った時は沈んでいた気分も別れる時には穏かになっていた。別れを寂しいとは思うのだけれども、それは仕方が無いことだ。

色々とブレインサーキットを働かせ、良い方法を模索した。インターネットにアクセスし、調べてもみた。しかしそこにあるのは、優しく言葉をかけろ、いや黙って傍にいてやれ、何があったか聞いてやれ、甘やかすな厳しくあたれ等、ばらばらの意見ばかりで結局これという答えは出ず仕舞いだった。自分で判断して行動しろ、ということか。リジェは諦めと共にそう結論付けた。
そうしてリジェが取った方法は、ただ隣に居ること、だった。口が上手い訳でも無く、喋ると逆におかしな事を言い出して仕舞いかねない。口当たりの良い滑らかな真実とも虚実ともつかない言葉を使うことはしたくなかった。
こういう時、相手に触れると良いのだろう。手を握ったり、抱き締めたりと。しかしリジェにはそれが出来なかった。伸ばしかけた手は一瞬の逡巡の後、立てた膝の上で組まれることになった。

そして一言を交わす為に言葉を選ぶ。
「夜の河は、綺麗だね」
選んだつもりの言葉は口に出すと、酷く陳腐で滑稽なものに思え、リジェは自分に呆れ笑ってしまったが、隣から小さな笑い声が聞こえてきたのでとりあえず良しとした。
きっと今夜はずっとこのままでいるのだろう。宵が明けて空が白むまでずっと。それまでサンダークラッカーが帰ると言い出さなければ、きっとそれで良いのだ。リジェはそう思った。





FIN