スロウワルツ;ユアペイン
リジェとマイスター






リジェの様子がおかしい。彼を良く見ていればすぐに知れるものだが、生憎マイスターの周りで気付いている者は少ない。
ラチェットは気付いているだろうが、自分から行動を起こさないだろう。内に秘めた問題に関して、彼はどこまでも受動的であろうとする。決して自ら首を突っ込まない。無論、相談などを持ちかけられればそれはもう親身になってくれるので、それは彼の優しさのひとつなのだ。踏み込まず、相手が乗り越えるのを待つ強さと優しさ、そして少しの恐れがそこにはある。
ハウンドも気付いているはずだ。彼はリジェと仲が良い。嗜好は真逆ではあるがそれが良いのか、よく二人で居るのをマイスターは見かけていた。どちらかというとハウンドが気にかけて何かにつけて構い、リジェがそれを受け入れているといった風だが、満更でもない様子で微笑ましい。
そんなハウンドがリジェの様子に気付かないはずはないが、踏み込むべきか迷っているのだろう。お互いの性格的に難しい部分だろうとマイスターは思った。

後のメンバーはどうだろうか。これがまた難しい問題だった。
マイスターから見てリジェは間違いなくサイバトロンの一員で、大切な仲間だ。だが一部のメンバーはそうは思っていない事を知っている。仲間ではあるが信頼出来ないヤツと言われ、何度彼は疑われてきただろうか。
彼の能力、性格、そして就いている役目から誤解を受けやすいとはいえ、それは哀しい事だ。マイスターは幾度となく糾弾されている場面に合い、その度に相手を宥め賺し、時には諌めてきた。そして思うのだ。彼がそんな状態であってもサイバトロンに身を置く理由、それは彼を決して疑わない司令官が居るからなのだと。自分ひとりでは彼を繋ぎとめられないだろう。
その司令官は気付いているのかいないのか。残念ながら気付いてなさそうだ。良く言えばおおらか、悪く言えば鈍感であるコンボイはあまり他人の感情の機微というものに明るくない。ただここぞという時には驚くべき鋭さを見せるので、マイスターはある意味非常に信頼していた。
今回もコンボイが気付くまで、自分が手を出すべき問題ではないのかもしれないと思うが、やはり気になるのだ。性分なのだろう。
リジェの性格から言って自分から相談は出来ないだろうし、そしてなにより彼は溜め込むタイプだ。おかしな方向に爆発してしまったら、彼の立場は益々危うくなってしまうかもしれない。
マイスターは自分がお節介な性質であることを自覚している。そしてあえて踏み込むべきでない領域についつい手を出し、痛い目にあう事が多いのも少なからず自覚していた。

だからマイスターは、今回リジェの気持ちに踏み込む事でなんらかの被害にあうという事は覚悟していた。
覚悟していたが、それは思っていた以上のダメージをマイスターに与えた。



「リジェ」
私室に戻ろうとするリジェにマイスターは声をかけ呼び止めた。
彼が一人の時を狙うのは簡単だった。それはマイスターを哀しい気持ちにさせた。
ひたりと足が止まり、ゆっくりとした動作で彼は振り返った。声は出さず、少しだけ首を傾げる。何か用かと問うているのだろう。
少し時間が欲しいと言うと、無表情だった顔が微かに歪んだ。アイセンサーを閉じ、そして開く。小さく呼気が漏れた。
「私の部屋で結構ですか」
リジェはそう呟くとくるりと背を向け、歩き始める。ああ、と返事しマイスターはその背をゆっくりとした足取りで追った。

リジェの私室は予想通り、綺麗に片付いていた。物が少なく、すっきりというよりはがらんとしているという表現の方が似合っていた。
デスク前の椅子をマイスターに差し出し、リジェは寝台に腰をかけた。
「何の話ですか」
淡々とした声が静かな室内に響く。張り付いた無表情がマイスターを見据えている。
拒絶している。何も聞くなと彼は告げていた。マイスターははっきりとした意思を感じ取ったが、だからこそ余計に引くわけにはいかなくなった。
一呼吸置き、真摯な、それでいて穏かな表情を作る。
「ここ最近。そう一ヶ月くらい前からかな。あまり具合が良くなさそうにしているね」
具合が悪い、というのはマイスターなりの気遣いだった。様子がおかしいというのもどうかと思ったのだ。
「何もありません。大丈夫です」
案の定の答えが返ってくる。張り付いた能面は一ヶ月前という単語で微かに反応していた。突き放すような冷たい声色に、マイスターは腹を括った。
「そんな顔をして、そんな声を出して何も無いのかい?」
応えは無いが、マイスターは続けた。本当に心配しているのだ。分かって欲しいと思いを声に込める。
「最近全然笑ってないじゃないか。いつも哀しそうに、いや。寂しそうかな。そんな顔をしていたね。今だってそんな顔をして。何かあったのかい?私でよければ幾らでも話を聞くよ。そりゃあ、まあ、私では頼りな」
「やめてくれ!」
「リジェ」
「もうやめてくれ」
マイスターの言葉を遮ってリジェが叫ぶ。怒りと哀しみに満ちた悲痛な叫びだった。彼は寝台から立ち上がりマイスターを見下ろした。
「あんたに何が分かる!俺の!何が分かるっていうんだ!」
「リジェ、落ち着いてくれ」
「笑っていないだって?そうだとも!笑える訳が無いだろう!あんなこと・・・あんなこと認められる訳がないじゃないか!あんたにだけは絶対に分からない。俺の気持ちなんて!」
「私は・・・」
「あんたは何時もそうだ。何時もそんな風に落ち着いていて、飄々と笑っていられる。誰だってあんたを蔑ろにしたりしない。疑わない。皆、あんたを信じている。必要とされている!そんなあんたに俺の何が分かる!?あんたと俺は違う。・・・違いすぎる。もう関わるな。なあ。楽しかったか?可愛そうな俺を庇うのは。あんたは絶対に疑われないもんな。俺が言っても聞き入れてくれないのに、あんたが言えば一発だ。当事者でも無いのにな。あんたみたいだったら俺もこんなことで!」
話すと同時に感情が昂ったのか、リジェは一気に捲し立てる。普段の穏かで少し斜に構えた様子は全く無く、強く荒く激しい口調でマイスターを罵った。
マイスターは止める事が出来なかった。伸ばした手が宙を空しく掴む。吐き出される言葉は確かに彼の心を抉った。しかしそれよりも、自分の痛みよりも、自分を見るリジェの表情を見るのが辛かった。
彼は怒っている。自分を突き放そうとしている。激しい感情をぶつけてきている。なのになぜ、恐ろしいはずの形相がこんなにも哀しそうなのだろうか。泣いている、と思った。縋るように足掻いているように見えた。
しかしマイスターにはその伸ばされた手は見えず、掴むことが出来ないのだ。その無力さがなにより彼を打ちのめした。
「・・・あんたと俺は違う。違うんだ・・・違いすぎる。頼む。関わってくれるな・・・」

最後にもう一度頼むと呟き、リジェは自室を出て行った。ばたばたと足音が遠ざかっていく。それはあっという間に聞こえなくなった。
マイスターは太ももに手を置き握り締め、頭を垂れた。ぎりり、と唇を噛む。柔らかい金属で出来たそれは容易く切れる。握り締めた手の甲にぽつりと水滴が零れた。





FIN