スロウワルツ;メッセージ






サンダークラッカーは海の上を飛んでいた。海底に沈む基地からは遠く離れている。地球上の距離など彼にとってあまり意味は無い。
ふいに止まりトランスフォームする。戦闘機から人型になり、中空に浮く。足元はただ青く、そして頭上もまた青い。
青。どちらも青色と呼ばれる。しかしこの二つが同じ色な訳がない。サンダークラッカーはぼんやりと思った。

そして数時間前の事を思い出して肩を落とした。だらりと下げられた腕が重い。海からの誘いのような重力に、いっその事引かれるまま落ちてしまおうかと考える。落ちて海底で朽ちてしまえば、何も考えずに済む。氷山から発見され生きていたスカイファイヤーの例もある。上手い事いけば何もかも終わった後で見つけ出されて蘇生できるかもしれない。海底では錆に蝕まれその可能性は低いだろうけれど。

やってしまった。彼の言動におかしなところは無かった。ただ自分の煮え切らないグダグダした性格を指摘してきただけだ。何をウジウジしていやがる、と心底鬱陶しそうに言うそれは、何時もならば笑って流せるようなものだ。馬鹿にされるのは哀しいかな慣れている。それなのに。責任を擦り付けたり、八つ当たりしてきた訳でもなかったのに、自分は彼に何をした。
目線を落とす。ぶらぶらとだらしなく自分の肩からぶら下がる手を見る。この手で彼を殴った。思いっきり。力任せに、ぶん殴ったのだ。
この腕を捻り切って差し出せば、彼は許してくれるだろうか。土下座でもして、地べたに頭を擦り付ければ許してくれるだろうか。
きっと彼は怒っている。そして同時に待っている。サンダークラッカーが一方的に自分の非を認め、情けなく謝罪してくるのを、スタースクリームは待っている。何時もそうだ。何故か、彼はそれでサンダークラッカーを許した。勿論、それなりの制裁はあったりするが、それでも許すのだ。自分に手を上げた相手を。
スタースクリームにしてみれば、自分に手を上げるほど切れた部下に関わりたくないという理由があるのだが、サンダークラッカーにはそれは分からない。何故なのだろうかと、何度か考えてみて、結局分からなかった。だからもうサンダークラッカーは考えるのをやめた。彼のブレインサーキットは自分より遥かに上等に出来ていて、そんな相手のことなど理解できるはずもないからだ。
許して貰えるのならば、それで良い。そう思う事にした。

しかし情けない事だ。自分の行動すらコントロール出来ないだなんて、まるでどうしようもない出来損ないのようだ。実際、サンダークラッカーは自分でもそう思っていた。癇癪持ちと馬鹿にされても仕方がない事だ。

だけれども。スタースクリームには申し訳無いし、気は重くて滅入っているが、頭がすっきりもしたように思う。滅茶苦茶に絡まっていた思考の糸が僅かに解けたような感覚があった。
それは自棄になっているだけなのかもしれない。スタースクリームの頬に拳がクリーンヒットした瞬間、どうにでもなれば良いという思いがブレインサーキットを駆け巡っていたのを思い出す。
サンダークラッカーはその時、無意識に自分の運命をスタースクリームに預けたのだ。あそこで彼が反撃し、再起不能にまで破壊されようとも、サンダークラッカーはその結果を受け入れていだだろう。しかし生きている。つまりはそういう事だ。

サンダークラッカーは胸のコックピット部分を開けた。中から取り出したのは、小さな機械だ。おおよそ一ヶ月、使う事なくそこに収まっていた。使う事も出来ず、だからといって壊す事も出来なかった。そしてもしかしたらという期待を捨てきれず、常に持ち歩いていた。
結局、期待は報われず使われないままだったのだけれど、壊さなくて良かったとサンダークラッカーは思った。手の中の小さな脆い通信機器。これが、きっと彼との唯一の繋がりだ。
未練がましくこうして肌身離さず持っているということは、その繋がりを消したくないということだ。何時ものサンダークラッカーならば、早々に諦めていた。

スタースクリームを殴った事で気が大きくなっている今がチャンスだ。最後の。だけれども、そこはやはりサンダークラッカーだった。まだ決定打が足りない。
怖いのだ。返事が無かったらどうする。酷い言葉が返ってきたらどうする。諦められるだろうか。ここまでして関係を続けようと思った事はサンダークラッカーには無かった。何時だって、距離があいたら自分から向かうことは無い。去るものを追うことは、とても恐ろしい事だった。一度の拒絶なら、まだ耐えられる。しかし二度も伸ばした手を振りほどかれたら。想像するだけで、怖い。サンダークラッカーにとっては、それは死の恐怖を上回る事だった。
だから、もう一押し、何かが欲しい。何か。この背を押してくれる何かが。
そうして浮んだのが、碌でもない直属の上司の姿だった。自分とはまるで正反対の前向きな求める事を恐れないその背は、鬱陶しくあり、同時にとても羨ましく眩しい。サンダークラッカーは自分が思うよりも、彼を認め、頼っている事に気付いた。絶対に言ってはやるもりは無いが。
彼に謝って、もし何もされなかったら。その時こそ、リジェにメッセージを送ろう。元気か、とだけでも良い。
スタースクリームが何もしてこない訳が無いのだが、そんな奇跡が起こるなら、それにあやかってみよう。サンダークラッカーは決意した。随分と情けない決意だが、彼にとってはとても勇気のいる重大なものだ。

そっと指先で通信機器に触れ、青い彼を思い出す。深いその色は、まるで眼下の海の色だ。そう思うと、海がとても綺麗なものに見えてきた。何故なのかはサンダークラッカーに分からない。ただ、彼に似て綺麗だな、と思うだけだった。





『サンダークラッカーだ。久しぶりだな。元気か』

震える指が送信ボタンを押す。サンダークラッカーは大きく息を吐いた。彼はまるでとんでもなく重要な、それこそそれを押せばセイバートロンが消滅するぐらいに緊張していた。先ほどスタースクリームに会った時と同じくらいだ。
どんな言葉が返ってくるか、それこそ返事はくるのだろうか。これから少なくとも数日は、眠れない日が続きそうだ。別に眠る必要は無いのだけれども。

帰ってきてスタースクリームに会う時、何時もの癇癪の後よりずっと緊張した。ヘマをしてメガトロンに叱られる前よりもずっとだ。
そんなとんでもなくガチガチの状態でサンダークラッカーが彼の私室に行くと、そこには上機嫌な上司が居た。
結論から言って、彼はあっさりと許したのだ。殴りもせず、蹴りもせず、ビームも撃たず、土下座もさせず、気にするなとスタースクリームは言った。
舌を噛んではしどろもどろになり、必死に謝罪の意を伝えたサンダークラッカーが呆気に取られるほどだった。
よっぽどな間抜け面を晒していたのだろう。なんて顔をしてやがる、と笑い飛ばされ出て言葉は、何故という疑問だった。

「なんだ。許して欲しくねぇのか」
「やっ!いや、違う!違うって!そうじゃなくて・・・」
なんと言っていいのか分からなくなったサンダークラッカーだったが、スタースクリームは彼の言いたい事を察したのか答えをくれた。
「珍しいもんを見れたからな」
そうにやりと笑って言う顔がひどく楽しそうで、サンダークラッカーは少し引いた。彼のあの顔はそれが碌な事でないのを物語っている。伊達に長く付き合っている訳ではなかった。
「そ、そうか。じゃ、じゃあ。本当に済まなかったな」
許して貰ったしこの場にもう居たくないと、最後のもう一度謝罪して、サンダークラッカーはドアを潜った。足早に出て行く彼に、スタースクリームの呟きは幸か不幸か聞こえなかった。

「なるほどね。サイバトロンとデストロンか。こりゃあ、あいつがおかしくなるのも無理はねぇな」
にやにやと笑うその顔は、まるで台所ロマン劇場に出てくる隣人の浮気現場を発見した主婦そのものだった。





FIN