貴方の視線
ホイルジャック/ラチェット。ラチェット→WJ。先生、乙女です。もうナニがなんだか私にもさっぱりだよ。





ゆるやかな午後の昼下がり。きっと外は良い天気だろう。

ラチェットは書類から顔を上げ、ペンをころりと転がした。軽く伸びをし、膝を付きほうっと溜め息を付く。
仕事が進まない。
理由は分かっている。先ほどから感じる視線のせいだ。さりげなく背後を見る。そこにはどこかぼうっとした様子でこちらを見ているホイルジャックが居た。
彼は椅子に深く腰をかけて足を組み、頬杖を付いていた。まるで寝ているようだが、頭の両サイドでせわしく点滅してる灯りと、感じる視線に彼が起きていることを知る。
ラチェットはゆっくりと向き直り、再び溜め息を付いた。
今の彼に自分は映っていない。強い視線を感じても、それはここでは無いどこかを見ている。それを知ったのは何時だったか。
かつて、それにさんざ振り回されたものだ。ラチェットは昔を思い出し、少し頬を緩めた。



今よりずっと若かった昔。故郷セイバートロンに居た頃。
ラチェットは師の様なホイルジャックに敬意と、そうして仄かな思慕を抱いていた。それは何時生まれたのか分からなかった。きっと正確に自分の記憶回路を辿れば分かるだろうが、ラチェットはそれをしなかった。なんとなく知りたくはなかった。

決定的だったのは、ある日二人で研究室に居る時に、ふと背後に視線を感じた時だった。そんなことは今までも何度かあった。だからきっとそれは限界点だったのだろう。

恐る恐る振り向くと、ホイルジャックが椅子に腰をかけ、こちらをじっと見ていた。ラチェットは慌てて顔を逸らし、思わず口元を手のひらで覆った。
感覚中枢がひどく混乱していた。内部を巡るオイルに火が着いたように、身体が熱かった。
何故。こんなことはいつものことだ。ホイルジャックはラチェットと居る時、良く考え事をする。そうしてその時、完全に自分の中枢回路に閉じこもってしまい、現実を見ない。じっと見つめる先の何も彼は見ていない。それをラチェットは良く知っていた。
なのに、その時ラチェットは激しく動揺したのだった。
しばらくそうしていた。そうして動揺を必死で収め、もう一度振り向いた。やはり視線はこちらを向いたままだった。
「如何、されましたか?」
ラチェットは分かっていたはずなのに、その声は思わず口から滑り出た。声は震えていなかっただろうか。ただそればかりが気になった。
その声は確かに聞こえているはずなのに、返事は無かった。

そのことが、ラチェットを落ち着かせ、正気に戻らせた。
ああ・・・。溜め息に混じって出た声は自嘲を含んでいた。ラチェットは苦く笑った。馬鹿馬鹿しい、一体私は何をやっているのだ。声には出さず、自分を罵った。

そうして今度こそ冷静を取り戻し、椅子ごと向きを変えた。距離を開けて向かい合う。同じ様に頬杖を付き、ラチェットはホイルジャックを見た。じっと見つめる。視線は合っているはずなのに、混じり合うことはなかった。それで良い。ラチェットは思った。
見ているだけの方がずっと楽だ。もう一度、ラチェットは溜め息を付いた。



結局あれから同じことの繰り返しだった。ラチェットは思い出し、笑った。柔らかい笑みを浮かべ、ホイルジャックを見つめる。
もう、あのような思いをすることはなくなった。いまだ彼の視線には慣れないが、それでも。それが嬉しくもあり、少しだけ残念な気もする。
それも今があってのものだろう。

ラチェットは立ち上がり、ホイルジャックの隣に立った。
「ホイルジャック」
聴覚センサーの近くで小さな声で呼びかける。
彼の視線はすぐにラチェットを映し、そうして少しだけバツの悪そうな顔をした。
「ラチェット君。折角良いアイデアが浮かんでいたというのに・・・」
「先にやるべき仕事をしてくださいよ」
ラチェットはにっこりと笑い、ホイルジャックの机に詰まれた書類を指した。
「こんな紙媒体にしなくても良いものを、わざわざ面白そうだという理由で使ったのは誰でしたっけ?お陰でひどい手間だ。整理が終わるまで新しい発明は無しですからね」
ぴしゃりと言い放ち、ラチェットは自分の席に戻って行く。

ホイルジャックはやれやれと肩をすくめ、その後ろ姿を見ていた。その視線はひどく優しい。





FIN