スロウワルツ;ティアーズドロップ
リジェ、欝からの脱出。






リジェはその日、基地へ帰る気は無かった。戻りたくないような、戻ってはいけないような、そんな思いを抱えひたすら走り続けていた。

荒野をフォーミュラカーが走る。青白い月明かりの元、それほとても幻想的で、同時にあべこべな滑稽さがあった。人間が見てもトランスフォーマーが見ても、おかしな車、またはおかしな奴という感想を持つであろう事は想像に難くない。リジェにとってそんな事はどうでも良い事ではあったが。
走れば走るほど身体は熱を持ち、ブレインサーキットは冷えてくる。夜の荒野の静けさが身を包み、スパークを苛んだ。
冷静になればなるほど、自身の愚かしさが際立つ。あんな事言うつもりなどなかったのに。本心など、誰にも打ち明けるつもりはなかった。今までもこれからも。リジェは言ったところで誰にも受け入れられる事はないと、とっくの昔に諦めていた。だからどんな事でも受け入れられた。はずだった。
それはどうやらただの自意識過剰だったようで、実際とのところは何一つ流せず溜め込んでいたという事だ。

マイスターに言った事は紛れも無く本心であり、そうではない。そう思っている事を本人が否定したいのならば、それは果たして本心といえるのだろうか。
リジェは確かにマイスターを妬み羨ましく思っていたが、同時に敬い頼もしくその存在を有難く感じていたのだ。
それにただ陽気でクールな出来る男ではないのは知っていたはずだ。能力柄、裏に回ることの多いリジェは、綺麗事で済まない事に手を回し、葛藤を抱えている彼を何度か見た事がある。誰かが被らねばならない汚泥。避けられぬのならばそれを彼は全て被ろうとしている。それはきっとあの人の為で。同じような思いを持っていたリジェには良く分かった。飄々とした態度で全てを包み隠し、彼が笑っていたことなど、とっくに知っていたはずだった。そんな彼がリジェを思って差し伸べる手は暖かかった。

誰かに感情をぶつけた後は、辛くなる。言った直後はすっきりした気分になるが、時間が経ち冷静になれば、そこに残るのは後悔ばかりだ。時間を巻き戻す事はリジェの能力を持ってしても出来ない。
そんなつもりは無かったと言ったところで、言われた者に伝わるはずものなく。生まれた誤解を解く事は、長い時間と労力を要する。そして、元通りに戻る事は決してない。
これでまたひとり、自分の事を良い方向で気に掛けてくれる人が減った。リジェは自嘲した。もう笑うしかない。ひとりでグジグジと悩み、勝手にイライラし、そして。
好きになった人も、失う。距離を置こうと連絡しなかったのは自分なのに、来ないメールにスパークを削られる日々が続いた。もう自分から連絡を取る事が恐ろしくて出来ない。会いたいのに、会えない。

悪循環。恋を恐れ、全てを失った男の話はこの地球上に溢れている。馬鹿馬鹿しいと思っていたのに、気が付けば自分もその主役を張っていたなんて。
いっそ、サイバトロンに戻らずにいれば、この想いを伝える事が出来るのだろうかとすら考えてみる。そうして結局落ち着く先は、恋に狂って全てを失った男の物語なのだろう。
どうしようもない。自分の感情の全てを押さえつけてでも、会いたい。いや。そうしないと会えない。会って話をしたい。だけれども、出来ない。自分から行動するには抱え持つ想いが重すぎた。マイスターにきつく当たってしまった事も、その原因であることも、全ての事がリジェに重く圧し掛かる。彼は何一つ悪くないのに。
リジェは冷静なったブレインサーキットが、その冷静さ故に複雑な、そしてこんがらがった思考を導き出している事に気付いた。
実際は単純な事なのだ。自分はサンダークラッカーに恋をして、でも彼はデストロンで自分はサイバトロン。サイバトロンに信用が無い自分はその事実が知られるのが怖い。デストロンに恋をした自分が憎くて愚かで、でも彼に会いたい。会えない。焦燥と苛立ちが頂点に達しそうになっていた時、マイスターに気遣われて、酷く当たってしまった。
なんてことは無い。全部、自分が悪い。リジェは顔を歪めた。泣き笑い。そんな顔だ。
成就なんて願っていない。だけれども、ただ想うだけでも罪になる事がある。リジェはターボエンジンを吹かした。夜の荒野の静謐なしじまを爆音が切り裂く。叫びのようなそれは、やがて闇に溶けていった。



リジェを苦しませているのはサンダークラッカーで、しかし救うのも彼だった。彼に対する感情でぐちゃぐちゃになっているのだから、当然といえば当然だ。
真夜中、と言って良い時刻だった。しかしそれは人の決めた時間配分で、トランスフォーマーにとってはあまり関係が無い。
いまだ荒野を走っていたリジェの、座席シートの上にそっと置かれていた携帯端末が小さく震えた。その時リジェは驚き思いっきりスリップしてしまったが、特に何も無い場所なのでクラッシュするものもなく、問題は無かった。街中なら大惨事になっていただろう。惨事と引き換えに人間は、一瞬宙に浮くフォーミュラカーが見れたかもしれない。
すぐに停止する事が出来なかった。スピードを落とし、しばらくのろのろとリジェは走った。差出人は分かっている。専用の着信音だ。約一ヶ月聞く事が無かった。それまでは良く鳴っていたのに。
メールが届いていることを示す光が、早く早くと急きたてているように赤く瞬く。最後のメールが来た時はあれほど余計な機能だと思ったが、今はずっと見ていたいような気持ちになった。怖い。でも嬉しい。だけれども、開いて見るにはまだ心の準備が出来てなくて、フォーミュラカーは先ほどから同じところを低速でぐるぐると回っていた。

普段と変わらぬ言葉でも、優しい言葉でも・・・決別の言葉でも良い。リジェは何を言われても受け止め返そうと思っていた。彼の言葉なら、諦めが付く。それでもやはり、期待は捨てられなくて。終わらせたいという願いと、終わりにしたくないという思いが彼を躊躇させる。しかしそれでは一ヶ月前の二の舞になる。リジェはブレーキをかけ、止まった。エンジンを切る。シン、とあたりが静まり返った。
緊張と相まってなんだか妙に厳かな雰囲気になり、リジェは逆に気持ちが少し楽になった。フッ、と笑みが漏れる。トランスフォームし、掌で端末を包む。ある程度頑丈に作られているが、繊細な手付きでそっと触れた。二つ折りになっているそれをゆっくりと開く。差出人の名前はまだ無い。メールの着信を示すメッセージだけが簡素にあるだけだ。
必要の無い深呼吸をする。指は震えていたが、意を決したように強くボタンを押し込んだ。
一気に現れる差出人と、本文。この時リジュは、どうして差出人と件名だけが先に出るようにしておかなかったのかと後悔した。これでは一気に知ってしまうではないか。
どうしようもなく、嬉しかった。先ほどから泣きたい事は沢山あったが、今のは違う。大きな冷却水の塊がぽとり、と零れた。液晶画面が滲む。

『サンダークラッカーだ。久しぶりだな。元気か』
たったそれだけのメッセージだ。味気も色気も、飾り気もセンスも何もない。
だけれど、リジェはそれなりに彼を理解していた。どこか全てを諦めたような、傍観と達観が彼にはあった。その彼の、一ヶ月ぶりのメールの意味。
このメールに込められた彼の努力が理解出来た。いや、それはリジェの願望なのかもしれない。去る者は追えないと言った彼が、こうして手を伸ばしてくれたのは気紛れではないのだと、そう思いたかったから、彼の葛藤を願った。酷い話だ、酷い男だと自嘲する。

しばらくリジェはじっとそのメッセージを見ていた。早く返事をしようと思うが、まるで錆び付いたように手が動かなかった。一時間ほど、そこに突っ立っていたかもしれない。
ゆっくりと彼はボタンを打ち始めた。出来上がったメッセージを見て、我ながら味気も色気も、飾り気もセンスも無いなと笑う。

『元気だよ。そっちはどう?この間は返事出来なくてごめん。色々あって。落ち着いたから、今度会わないかい?』

誰にも知らせやしないから。この胸にずっと隠し続けてみせるから。だから、会いたい。せめて友でいて良いだろうか。
リジェはこの一ヶ月の苦しみに代え、自分の気持ちを隠し続ける事を決意した。この想いが無ければ、問題は無いのだと。
そうして送信ボタンを押し、リジェはビークルモードに戻った。エンジンを入れ、走り出す。場所に似合わぬ滑らかな走り出しは、その道の人間なら感嘆の声を上げただろう。
帰ろう。帰る場所へ。リジェにとって帰る場所はやはりサイバトロンだ。どれほど悩もうと苦しもうとそこが居場所だと、改めてリジェは理解した。
そしてマイスターに謝ろう。許して貰えないだろうが、謝罪はしておきたい。あれは確かに本心だが、それ以上に尊敬し、いつも助けられて感謝している事もまた事実であると、伝えておきたい。



『そうか、良かった。ちょっと心配したんだ。俺は元気だ。どこへ行く?』
『そちらが良ければ、決めさせてもらっても良いかい?』
『良いぜ。任せた』
『うん。じゃあ、おやすみ』
『ああ。楽しみにしてる。おやすみ』
地球の自然嫌いな自分が、人目から隠された花園なんてのに連れていったら、彼はどんな顔をするだろうか。存外、彼は地球の自然が好きなのだ。その場所を教えてくれたハウンドとシースプレーに今度何か奢ろう。リジェは自室で柔らかく笑った。

マイスターの言葉を思い出す。お互いに開口一番、謝罪し合い、そして笑った。ありがとうございます、と頭を垂れるリジェに、マイスターは再び言った。
「私でよければ、なんだって言って欲しい」
今度こそリジェはそれを素直に受け入れることが出来た。彼との事を話せる訳はないのだけれど、また少し気が軽くなったのは事実だった。
「その時はよろしくお願いしますよ、副官」
「お手柔らかに」
そうして二人は笑い合って別れた。
確かに関係は元通りにはならなかったが、悪くない方向へ行くこともあるのだな。リジェはそう思い、手許の携帯端末をゆるく撫でた。





FIN