虫の鳴き声

音楽の感性が、サウンドウェーブは日本人的、ブロードキャストはアメリカ人的な感覚じゃないかな、と。マイスターはダブルな感じ。






その男は、それをうつくしい音楽だと言った。
その時のブロードキャストには理解出来なかった。しかし今回は出来た。
その発言が誰のものであるのか。どのような態度で、言葉で表現されたか。違いはそれだけだ。しかしそれは非常に重要な事だ。

ブロードキャストは隣に座る機体を見た。じっと前を見ていたそのひとは直ぐに視線に気付いたのか、ゆっくりとした動作で首を動かし、ふたりは顔を見合わせた。
バイザーに覆われたアイセンサーは穏かに光っている。ゆるく上がった口角。100人のサイバトロンのうち、9割以上は彼と言えばこの表情を思い浮かべるだろう。そんな何時もの彼がそこに居る。

「私も地球で復活した当初は唯の雑音だと思っていたのだがね」
振られた話題は先ほどまでしていたものの続きのようなものだった。続けようというのなら、乗ろうとブローキャストは思った。相手を選ぶ話題であるが、彼相手になら問題は無い。元々そのつもりで彼に会いに来たのだ。
適当な相槌を打ち、続きを促す。
「じゃあ、どうしてまた?」
「そうだねぇ」
続きは無かった。彼は再び前を向き、今度は空を見上げた。ブロードキャストも同じように空を見上げた。いわゆる空を構成する要素以外に何も無い。一面に広がる淡い青色と、白い雲。時折小さな黒い影が通り過ぎる、唯の空だ。

なんとなくだがブロードキャストには分かった。唯の音が音楽になった理由。この小さいけれど主張の激しい、繊細でありながら大胆な音楽。今ならこう表現出来る、恐らく大多数のトランスフォーマーにとっての雑音。
彼の意識を変えるのは難しく、単純だ。しなやかな柳ような彼は、穏かで柔らかい外面の裏に特殊合金並みの頑固さを持つ。
ブロードキャストの脳裏に青と白のトランスフォーマーが浮ぶ。自分がそのトランスフォーマーの言動に反発せずにいられないように、彼にもそんな相手がいた。正反対の意味でだが、結局のところ同じ事なのだろう。
彼の前でそのひとの名を口に出して良いか悪いのか。今は良いだろうと判断し、ブロードキャストは空を仰ぎ見たまま、口を開いた。

「司令官ですね」
「分かるかい」
ブロードキャストの軽い口調に合わせるように、彼の声は笑みを含んでいた。司令官と言ってもも今のそのひとではない。かつてのひとだ。だが、二人の間ではその呼称が自然だった。二人きりだ。誰に憚る事も無いだろう。
「恐らくドクターハマダだと思うのだがね。日本ではそうだと教えてもらい、意識して聴いてみたらなるほど、となったらしいよ。君たちの聞いているあの騒音よりよっぽど心地良いと言われてしまった」
ハハハ、参ったね。肩を竦め声を上げて笑う彼につられるように、ブロードキャストも眉間を軽く掌で叩き笑った。
「そりゃあ無いっしょ、司令官」
「だよねぇ」
顔を見合わせ、苦く笑った。
でも。笑いはそのままに、彼が言葉を続けた。
「あのひとはあまりそういうのは好きでは無かったからね」
「違いますね、副官。あのひとが、じゃなくて、トランスフォーマーが、と言った方が正しいですよ。何度騒音だの雑音だの言われた事か。まったく嘆かわしい事ですよ」
「私はもう副官じゃないよ」
「今は良いでしょ」
あのひとが司令官と呼ばれるのなら。ブロードキャストはそう言い、器用にウィンクをひとつ送る。かつて副官と呼ばれ今はすっかり前線から退いた男は、軽く笑って再び肩を竦めた。
「そういう問題でも無いと思うけど、まあ、良いかねぇ」
「流石、マイスター副官」
話の分かるひとだ。ブロードキャストは陽気に笑った。
「君も相変わらずだねぇ。少しは大人しくなったかと思っていたのだけど、どうやら私の思い違いだったようだ」
「ちょっと酷いっすよ、副官。これはオフです、オーフ。仕事では超真面目なんだから」
「そうかい?」
「その目は信じてないですね?」
「いやいや、そんな事はないよ?」
「なんなんすか、その疑問詞は」
もう良いですよ。ブロードキャストが拗ねたようにして顔を背けると、マイスターはごめんと謝罪の言葉を口にした。どう考えて謝る気の無い、笑いを堪えた声だ。
ブロードキャストも本気で拗ねている訳ではない。これは遊びだ。二人共分かっていて、演じている。

「ブロードキャスト、許しておくれよ」
「せーい、ってものが感じられませんね」
「君は酷い男だね、まったく。私がこんなにも誠実に謝っているというのに、許してくれないのかい」
「笑いを必死で堪えているその声のどこが誠実なんですかね」
「ばれたか。流石はサウンドシステムと言ったところかな」
「そんな褒められ方されても、これっぽっちも嬉しくないです」
「これでも本気で感心しているのだがね」
まったく馬鹿馬鹿しい掛け合いだ。しかしブロードキャストは自分の気持ちが晴れやかになっているのを感じていた。きっとそんな気持ちが一押ししたのだ。

「副官。前線、戻って来ませんかね」
口に出してブロードキャストは少し後悔をした。空気が凍りつくという事は無かったが、ほんの少しだけ変わった気がした。
「すまないね」
口調も表情も何も変えず、マイスターはあっさりと拒否を示した。
分かっていた事だが、少しくらいは間を取ってくれても良いんじゃないのだろうか。ブロードキャストはそう思ったが、妙に考え込まれたり変に言葉を濁されるのも困ると思い直すことにした。
「ちぇ。即答とか、もう少しなんか無いんですかね」
「お前さん相手に変な小細工しても仕方が無いからね。これでも相手は選んでいるつもりだよ」
「なんだかなぁ」
「さて」
ブロードキャストのぼやきに被せ、マイスターは立ち上がった。
「私は行くよ。お前さんも仕事があるだろう」
「バレてましたか」
どうやら仕事をサボって会いに来ていた事はすっかりお見通しだったらしい。指摘されても悪びれもせずに笑うブロードキャストに、マイスターはやれやれと肩を竦めた。
「まあ、お前さんのことだから、抜かりは無いのだろうけどね」
「任せてくださいよ」
決して真面目な態度ではないが、マイスターは彼が信頼に値する人物だと言う事を知っているので、笑う事で応えた。マイスターの知るブロードキャストはおちゃらけた態度で自身の真摯さと真面目さを隠しているような男だ。今、自分が心配するような事など何もないのだ、とマイスターは頼もしく思った。

「すまないね」
「いいえ」
それは心からの謝罪だった。マイスターは自分が前線に出ないのは、完全な私情だと理解している。
「ブロードキャスト。何か話したい事があったら何時でも呼んでくれて構わないよ。今日みたいにね」
誰かに聞いて欲しいが、言えない事もあるだろう。例えば、あのデストロンのサウンドシステムの事など。他にも今のサイバトロンでは言えない事も、一線を退いた自分なら聞いてやれる。自分が退いた理由を知っているのなら、そんな話をするのも気安いだろう。
マイスターは座って自分を見上げるブロードキャストの肩を軽く叩き、ビークルモードにトランスフォームした。
「じゃあ、私は行くよ」
「ええ。気を付けて」
「ありがとう。お前さんもね」
「副官」
「なんだい」
「また、その時はよろしく頼んますね」
「任せておきなさいよ」
ハハハ。相変わらずの爽やかな笑い声を残し、マイスターの姿は直ぐに見えなくなった。
見送るようにじっと座ってそれを見ていたブロードキャストは、優秀な聴覚センサーを持ってしても彼のエンジン音が聞こえなくなった頃、ゆっくりと立ち上がった。
マイスターの声も、ポルシェのエンジン音も、自分の声も無くなった今、聞こえるのはリーンリーンと鳴く虫の声だけだ。
サウンドウェーブが虫の鳴き声は素晴らしい音楽だと言った。マイスターは虫の鳴き声が綺麗な音楽に聞こえると言った。
今、自分が感じているものは確かに音楽だ。しかも美しいと言えるものだ。

「仕方が無い。サウンドウェーブ。今回はお前の勝ちって事にしておいてやるよ」
ブロードキャストは誰ともなく呟き、ゆっくりと歩き出した。





FIN