策略家
"SPOTLIGHT:MIRAGE"より。本編はミラージュの見た夢でしたが、こちらは実際離反していたというIF設定です。
マイスターとプロール。リジェの離反について。
暗い。
そこへ入ってマイスターが感じた事はそれに尽きる。自然とかける声もトーンダウンする。囁くように部屋の主の名を呼んだ。プロール、と。
ゆっくりと開かれたその双眸に、マイスターはらしくもなくかける言葉を失くし、足を止めた。
不自然な沈黙が落ちる。二人の間で沈黙は珍しい事ではないが、この種のものは稀だ。不快な空白だとマイスターは感じたが、破る術を彼は持たない。己の忍耐を総動員して、対面する男の行動を待った。
「マイスター」
囁き返すように小さく名を呼ばれ、マイスターはようやく止まっていた足を再び動かした。ゆっくりと部屋の奥に設えられたデスクの前に進む。灯りの無い部屋で、外からの微かな光の中、椅子に腰をかけている男の瞳だけが明確な輪郭を持って浮かび上がっている。
デスクを挟んで正面に立つ。普段表情を崩す事の無い男はやはり常と同じで、彼の代わりにこの部屋がその感情を代弁していた。怒りでもなく、哀しみでもなく、ただ、ひたすら、暗い。
しかし沈黙は居心地悪いものだったが、この暗さはマイスターにとって有難いものだった。入室した時、一層暗くなったのは気のせいだろうが、心理的なものがそうさせたのだと、彼は分かっていた。自分の心も、ひどく暗い。光を求める事を恐れるほどに。だからこそ、この部屋へ来たのだった。
再度訪れた沈黙に、先ほどの不愉快さは無かった。
マイスターは思い出したように入り口に戻り鍵をかけた。そして手短な椅子を引き寄せそこに腰をかける。デスク正面。プロールは両肘を付き、組んだ手の甲の上に顎を乗せ、アイセンサーを閉じている。マイスターは天井を仰ぎ、そっとアイセンサーを閉じた。
何も見えない。本当の暗闇になった。こうやって何も見ていなければ、いっそ幸せであれるのではないか。そう思うほど、それは優しい。
「行ってしまったな」
ぽつりとプロールが口を開く。誰とは言わない。言えないのか、言いたくないのか、恐らく前者だろうと、いや、そうだと良いとマイスターは思った。少なくとも、自分達だけでも、せめてもと。まるで弔いのように願う。彼は死んでなどいないのに。
「ああ」
そう。彼は行ってしまった。
「私には止める事は出来なかった」
声が震えている。泣いているのか。閉じたアイセンサーには相変わらずの暗闇ばかりが映っている。
「私にも、無理だった」
誰にも止められやしなかった。唯一、それが出来たであろう人物は何も知らない。隠し続けていたのは、自分達。そして彼自身だ。あの人には知らずにいて欲しいと、それが彼の唯一の願い。行き着く先が分かっていながら、それを無碍にする事は出来なかった。だからこそ、彼は嘲笑ったのだろう。貴方達は愚かだと。
「マイスター。最後に何か言われたか」
「いいや。何時も通りだった」
マイスターが最後に見た彼は、何時もと変わらなかった。何一つとして語る事の無い穏かな表情で、また明日、と笑い別れた。明日などない、そんなものを一切感じさせない、何時も通りの日常だったのだ。
「そう、か」
だが、プロールは違ったらしい。誰にも何も告げず出て行った彼は、プロールにだけ何かを告げたのだろうか。
聞いても良いのだろうか。マイスターは考え、これは聞くべき事だと改めた。
「何を、聞いた?」
アイセンサーを開く。薄暗い天井から視線を正面に戻した。プロールは相変わらずの体勢で、表情は見えない。
「…ある意味、何時も通りだったよ」
マイスターからその表情は見えないが、彼は笑っているように見えた。口元だけが吊り上げられた、歪んだ笑み。
「何時も通り、か」
マイスターは自分も同じ表情をしているという確信があった。見えないけれど、きっと自分の口元は醜く歪んでいるだろう。
いっそ、他の者達のように怒り哀しみ、そして憎めたらのなら良かった。あるいは、全てを許せたのならば。そんな資格は二人共無いのは良く分かったいたが、そう思わずにはいられない。
「ああ、何時も通りだ」
『戦争を終わらせる為の策を考えろ。連中は敵だ。何を迷う』
『そのブレインサーキットの中にあるものを出せ。躊躇する必要など、どこにある』
『終わらせる気が無いのだ。終わるはずもない』
『だから貴方達は愚かなのだ。真実、非道なのはどちらだだろうか。貴方達は分かっているはずだ』
『何が悪い?これは戦争だ。敵を何百死なせようと、歓迎されこそすれ、糾弾される理由が無い』
『私はこの戦争を終わらせる為にはなんだってするつもりだ。貴方もそうだと信じている』
「貴方は確かに優秀な軍略家だ。戦争が終われば役立たずになるのを良く知っているのだろう。終わらせられないのではない。終わらせる気が無いのだ。貴方達は。民衆が力を持つというのは、かくも愚かで醜いものか。与えられた役目から逃れ、自由を名乗るのはさぞや楽しい事なのだろうな」
「リジェ、私は」
「もう聞き飽きた。耳障りの良い言葉は他の者に言ってやると良い。犠牲の無い戦いなど、ありえない。一番良く分かっているのは貴方だろう」
プロールの伸ばした手は、寸前でリジェによって振り払われた。言葉も態度も、彼は全てでもって拒絶している。プロールにはそれが痛いほど分かった。彼の言わんとしている事も。彼の言う通りだった。そしてこれが最後だとも分かった。その気持ちのまま、脳裏に描き続けていた作戦を彼に告げ協力を仰げば、彼は思いとどまるとも分かっていた。自らの命も省みず、協力してくれるだろうとも。
しかしプロールには出来ない。それも良く分かっていた。彼がずっと胸に仕舞いこんでいたその策は、確かに戦いを終わらせる事が出来るだろうが、あまりにも犠牲が多い。敵味方双方に。そういった策は幾つも浮んでは、消えていった。いや。消したのだ。
黙り込んだプロールに向けられる光はどこまでも冷たい。侮蔑。いや、それよりも哀れみだったのかもしれない。それはまるで幼子を諭す親のようにも見えた。言う事を聞かない子に、怒りすらも通り越し残るのは憐憫なのだろうか。
「意味が無いな。そう…そもそも私達は違うのだ。分かっていた事なのに、な。なんとなくだが、分からないでもない。貴方達が敵であるデストロンを憎しみながらも、どこか彼らを殺す事を戸惑っている理由。貴方達は民だ。健全に生き、誠実に働き、他者と繋がり支えあう事で社会を作り回す事を目的として作られた。何よりも情が深く他人にも己にも優しい。そんな貴方達に、他人を殺す事など初めから無理だったのだな。軋轢は必ず生じる。何時まで見て見ぬ振りをするつもりだ?プロール。このままでは」
リジェはそこで言葉を止めた。ふるふると振りかぶり、そっと溜め息を吐いた。
「いや。・・・もう私には関係無い、か」
全てを諦めたような声だった。プロールは伸ばしそうになる手を握り締め、耐えた。
「行くのか」
答えはなかった。出口へと向かう背を、プロールはじっと見つめた。そのまま出て行ってしまうと思っていたが、彼はふと足を止めた。振り向く。逆光で表情が見えない。もう、朝になっていたのか。プロールはぼんやりとそう思った。酷く疲れている事を自覚する。
「プロール。ひとつ訂正するよ」
貴方は大した策略家だ。私を止めない本当の理由。気付いているのか、そうでないのか。精々足掻くと良い。犠牲の少ない戦争とやらを。
待て。プロールは手を伸ばした。既に誰もいない場所に向かって。リジェの姿はそこには無かった。まるで初めから居なかったように。
違う。そんなはずはない。そう言いたいのに、何ひとつ言葉にならなかった。
「そう…何も変わる事はなかった」
プロールが立ち上がった。マイスターは座ったまま、ゆっくりと近付いてくる影を今度は見上げる。
「変われない。生み出された意味を。我々は兵士にはなれなかった」
崩れ落ちる身体をマイスターはそっと抱き締めた。回された腕の力は強かったが、不思議と痛いとも苦しいとも感じなかった。麻痺、しているのかもしれない。
「プロール。私はね」
肩口にある聴覚センサーに辛うじて届くような小さな小さな声で、マイスターは呟いた。世の中には言って良い事と悪い事がある。これは後者だ。分かっていたが、言わずにはいられなかった。プロールの為だけではない。これは自分自身の為でもある。
「私は…変わらなくて良いのだと思う。彼の言う通り、我々が我々である限り、終戦への道のりは遠いのかもしれない。だけれども、同時に彼も言っていただろう?」
そう。かつて彼は言った事がある。
何時ものように三人で議論し、何時もと同じような結論に達した。一人敵陣に罠を張り、そこに駐屯する数万単位のデストロンを殲滅すると言ったリジェと、それに反対する自分達。自分達の主張は彼にかかる危険が多き過ぎるというものだったが、きっと分かっていたのだろう。それは戦いでもない一方的な…殺戮であり、自分達がそれを恐れている事を、リジェは理解していたのだ。
「分かりました」
その言葉にほっと息を吐き、顔を合わせたマイスターとプロールにリジェはふっ、と笑った。それは珍しい柔らかい笑みだった。
「全く・・・貴方達ときたら」
彼はそのままひとり退出してしまったが、残された呟きは確かに二人の聴覚センサーに届いた。
その甘さが、愛しい、と。
「言っていたな」
マイスターはプロールがそっと笑ったような気配を感じた。
「ああ」
「マイスター」
今だ顔は肩口に埋めたままだが、存外しっかりとした声だ。マイスターは返事をする代わりに、背中を優しく叩いた。
「やれるか?」
何をとは言わなかったが、直ぐに理解出来た。
「お前さんこそ、どうなんだい?」
「出来ない、とはとてもじゃないが言えないな。やらなければならない。彼の為にも」
相対する道を選んだ事で、自分達の背を押した。そう考える事はあまりにも都合が良すぎる。しかし。
「確かに」
もう真実など知る術が無い今、自分達がそう思えば、それはそうなのではないのか。恨むには、残念ながら自分達は、彼の言葉を借りるのならば、そう、善良過ぎるのだ。臆病なほどに。
「プロール」
「どうした」
「私は友人だと思っているんだ」
今でも、きっとこれからも。
「そうか。私もだ」
これからは二度と口に出せないだろう。離れていった友を思って、二人は一筋、頬を濡らした。
FIN