青い鳥
戦闘機と猟犬(と消えるフォーミュラーカー)。季節は春先、地理は深く考えてはいけない。飛燕、雷電、月光というと、脳裏に浮ぶは戦闘機か三面拳か。
ハウンドは荒野を走っていた。行く宛は無い。彼は探し物をしていたがそれがどこにあるのか全く検討は付かないし、さらにそれは目に見えるかどうか分からない。どこにあるか分からない、目にも見えないものを探すだなんて、我ながらおかしな事をしているとハウンドは思う。が、探す事を止める気にはなれなかった。ただ、本気で探しているのかと問われると、勿論と答えるだろうがどこか迷いがあるのは事実だ。
ハウンドは自分が探し物を見つける事が出来るとはあまり思っていない。見つける事が出来れば良いな、と見つけるのが自分であれば良いな、ときっとそんな思いで自分は行動しているのだと知っていた。残念ながら自慢の嗅覚で必ず見つけ出してみせる、とは言えない。
彼の探し物はそれはそれは、隠れる事が得意なのだ。ついでに隠し事も得意なので中々厄介なのだが、ハウンドはきっと自分は探す事を止めないだろうと思っている。いつでも、いつまでも、探し続けるのだろう、と。
<飛燕>
荒野を走っているとハウンドの優秀な嗅覚が独特の香りを拾い出した。海が近いのか。少し湿り気を帯びた香りは彼の脳裏に青く広がる大海の記憶を呼び出し、初めてそれを見た時に探し物の色だと思った事を思い出させた。
だからだろうか。そこに探し物があるとはあまり思えなかったが、ハウンドはその香りに誘われるように進路を変えた。早く見つけ出したいが、急いだからと言って見つかるものでもない。もういい加減その事をハウンドは思い知っている。
ハウンドは擬態を解いて大海を見下ろしていた。道路沿いではない場所なので人間達は居ない。
すぐ近くだろうと思っていた匂いの元は思ったよりも遠かった。湿った空気が多分に香りを内包し、普段より遠い距離にある名の由来であるハウンドの優れた嗅覚に届けたのだろう。空は確かに青いが、空気は少し重い。小さな生き物が地面すれすれを飛び交っている。あんな飛び方で良く地面に激突したり、何か、そう例えば自分にぶつかったりしないものだと妙な感心を覚えた。器用に自分の身体を避けて飛ぶその生き物は燕という鳥だ。
湿った空気と、地を這うように飛ぶ燕の姿に、ハウンドは雨が降るのか、とぼんやりと思った。この星に来て仕入れた知識の一つだ。彼の大好きなちっぽけな有機生命体は、驚くほどこの世界と共存している。自分達のように星を支配するのではなく、彼らは共に生きているのだ。その有り方を羨ましいと感じる自分をハウンドは恥じたりはしない。探し物はあまり良い顔をしないだろうな、と思うと自然と笑みが零れる。
しばらく飛び交う燕の群れの中で海を見ていたハウンドだったが、異変に気付き顔を上げた。忙しくも穏かに餌を漁っていた燕達が、さっと彼の元から離れていった。その様はまるで彼らの王が現れ、恭しくも場を明け渡しているようにも見えた。すぐそこに現れた機影に、その考えはあながち間違えでは無いのだろう、とハウンドは思った。改めて見れば、その体色も同じではないか。
「やあ」
目の前にいきなり現れた燕の王に、ハウンドは軽く挨拶を送った。臨戦態勢は取らない。その必要は無いと感じたからだ。出会い頭に銃撃は当然の相手ではあったが、こうやって日常で出会う時はそこまで警戒すべき相手では無いと知っている。この星を巡る事を好むハウンドは、一人で居る時にデストロンと出会う事が良くある。だから彼らが戦闘中では無い時、どういった態度を取るのか、きっとサイバトロンの誰よりも知っている。
トリプルチェンジャーは好戦的で、ビルドロンはどちらかと言うと友好的だとか・・・ジェットロンは若い連中はこちらの姿を見た途端逃げる事が多いが、古株の三人は逆に興味深げに寄ってくる。今のように。
良くも悪くも彼らは公私をはっきりと切り分けている。目の前の彼に関しては襲撃せよ、との命令が無いだけだと言えばそれまでだが。
「おう」
親しげに声を掛けるハウンドに、空中に浮んだ男は軽く笑って応えた。馴れ馴れしささえ感じさせる様子に、ハウンドはスパークの内で溜め息を吐いた。その馴れ馴れしさが少し忌々しい。きっとこの男は自分の感じている思いなど理解出来ないだろう。メガトロンの命令があればこうやって笑い合っている次の瞬間に襲い掛かるだろうこの男には。
「んなところで、なにしてんだ?」
「ちょっと探し物をね」
正直に答えると、男はあまり興味無さそうに鼻で笑う。ハウンドは肩を少し竦め、見つけられそうには無いんだけどね、と笑った。
「めんどくせぇの」
理解出来ないとはっきりと顔に出し、呆れた視線で見下ろされ、全くもってその通りだと、ハウンドは笑ったまま何度も頷いた。
「はっきり言ってくれる」
彼は正直だ。勿論、サイバトロンの仲間達も気持ち良い正直者揃いだが、彼のそれは質が違う。今のハウンドにはサイバトロンの正直さより、彼の正直さの方が有難かった。誰かの為の誠実より、自分の為の誠実による飾りの無い言葉が欲しい時もある。
「確かに面倒臭いな」
「ほんと、めんどくせぇ奴だな、おめぇ」
誰が面倒なのか自嘲を含んだ呟きに、心底馬鹿にした目つきと嘲る気持ちを隠さない言葉が返って来る。
そろそろだろうか。そんな彼の態度を流しながら、ハウンドは強くなって来た風を感じ、宙に浮ぶ男の背後を仰ぎ見る。青い空はほとんど消え、分厚い鼠色に取って変わられていた。
「そう言えば、お前は何をしているんだ?スカイワープ」
「あん?ああ、別に何もしてねぇよ。天気良かったし、仕事もねぇってんで、ぶらぶらしてた」
そして自分に釣られるように上空を仰ぎ見た男が、げぇ、となんとも言えない声を出し、顔を顰めた。
「んだよ、雨かよ!」
「みたいだね」
「冗談じゃねぇや。濡れるのはごめんだぜ」
そう言うや否や、ハウンドの事など眼中に無いと言った風情で、スカイワープは飛び去っていった。
「海底に戻るのに、濡れたくないもくそも無いんじゃないか?」
あっという間に小さな点になったそれを見上げ、ハウンドは誰に言うとも無しに呟く。その通りだ、というように戻ってきた燕が一匹、彼の肩に止まり、直ぐに飛び去って行った。
我が物顔の王が居なくなったからか、ハウンドの傍には再び燕達が飛び交っている。まだ少し降り出すまで時間があるのだろう。
「さて、今度はどこに行ってみようか」
呟いた言葉に応えは当然、無い。
<雷電>
結局ハウンドは特に行く宛も決めず走っていた。唯一決めていたのは、生き物の少なそうなところに行ってみる、という事だ。彼の探し物はあまりこの星の生命が好きではないから、自分からあえてそれらが多い場所には行かないからだ。
それにしても酷い雨だ、とハウンドは少しばかりうんざりとした。いくらこの星の自然が好きだからといって、溺れるほどの豪雨と激しく大地を揺るがす轟音はあまり歓迎出来るものではない。きっと傍で見ている分には素晴らしいと思えるのだろうが、自分が体験するものではないな、と座席に満タンに溜まっては溢れる雨水にブレインサーキットを痛め、直ぐそこに落ちるエネルギーの塊にヒヤリとなりながらハウンドは思った。当たったところで死ぬ事は無いだろうが、それはある意味自分達の天敵とも言えるものだ。
どこか適当にやり過ごす場所は無いか、とハウンドは周囲を見渡し、先ほど見送った黒い点が今度はこちらに近付いてくる事に気が付いた。
燕の王の次は、雷様か。
それは一瞬だった。凄まじいまでの轟音と、全てをなぎ払うかのような風がハウンドの身体ごと周囲を吹き飛ばしていった。横転し身体に溜まった雨水を全てぶちまけ、ハウンドは小さな点になった機影を見送る。良くあの打ち付ける激しい雨と、飛び交うエネルギーの嵐の中を行けるものだと、場違いの感心をした。名は伊達ではない、という事だろうか。
しばらくすると前が見えない、痛みを感じるほどの激しさは収まり、勢いを無くした雨は柔らかく大地を濡らし始めた。転がった身体をトランスフォームし、ハウンドはロボットモードでどろどろになった大地に腰をおろした。全身はすっかり泥だらけで、緑色の機体色と混じり合って、見事な迷彩色になっていた。泥でもってカモフラージュするとは、なんとも基本に立ち返った話だと、ハウンドは笑った。
「何笑ってんだ?」
変な奴だな、と不意に上から声がかかり、ハウンドはそちらを見た。
「やあ」
「サイバトロンって奴は、泥んこ遊びが好きなのか?」
理解出来ねぇ、と顔を顰めゆっくりと男は大地に降り立つ。
何の用だろうか、とハウンドは首をかしげた。彼は恐らくデストロンで最も好戦的ではなく、自主的に戦う事はまず無いと言って良い男だ。今、彼は明らかに自分の所に戻って来ている。デストロンがサイバトロンを見逃さないのは当然だが、彼だと少し話が変わる。
「好きって訳じゃないさ。不可抗力って奴だと思うよ」
君が原因のひとつなんだけど、とは言わずにおいた。もしかしたら、と彼が戻った理由に思い当たったからだ。有り得ないが、彼なら有り得るかもしれない、とハウンドはそっと微笑んだ。
その笑みを見て、男は顔を顰めた。そしてふい、とそっぽを向き、小さな声で悪かったな、と呟いた。
ああ、やはり。彼はハウンドが泥まみれになっている理由を知っていたのだ。偶々なのだろうが、気付いた以上、どこか収まりが付かなかったのだろう。音速で飛び去った機影をハウンドが彼だと気付いたように、彼もまた音速で過ぎ去っていく光景にハウンドを見つけたのだ。
「ハハハ。無様な姿を見られてしまったみたいだ」
「ほんとにな。思わず目を疑っちまったぜ」
だってお前、綺麗にひっくり返ってさ。だからうっかり戻っちまった。
ハウンドがその小さな謝罪に出来るだけなんでも無いように振舞うと、彼はどこかほっとしたような笑みを浮べ、軽口で応えた。
その様を見ながらハウンドは、どうして彼はデストロンなのだろうと何度目か分からない疑問を浮かべた。聞いたところで答えてはくれないのは分かっている。経験済みだ、残念ながら。
そういえば、とハウンドは思い出した。彼は探し物の行方を知っているかもしれない。彼らが仲が良い事をハウンドは知っていた。知ったのは偶然だったが、意外に思ったのは二人の仲ではなく、一緒にいる事を当たり前のように受け入れられた自分だった。本来なら内通か何かか、と疑っても良いところだが、不思議とそういう考えは湧かなかった。ただなんとなく内緒にしていた方が良いのだろうな、と思い結局ハウンドは誰にも、本人たちにも言っていない。楽しげに笑う姿がただ嬉しかった。
「で、んなところで何してんだ?ハウンド」
そして同時に少し悔しくもあった。だからだろうか。思わず、そんな言葉が出たのは。
「探し物を・・・そうだ、サンダークラッカー。君知っているかい?リジェがどこに居るのか」
その名前に反応したのだろう、彼は分かり易く顔を顰めた。
「なんで俺に聞くんだよ、てめぇ」
低い声だ。元々その外見に似合わない低く落ち着いた声をしているが、今のそれは更に低い。怒りではないのだろう。それはきっと困惑だ。なぜなら、彼の赤いアイセンサーが不安げに揺れているのだから。
「うん。まあ、なんでだろうね」
ハウンドは肩を竦めはぐらかした。その様子を見、サンダークラッカーは空を仰ぐ。そして小さく、知らね、と呟いた。
「知らない、か」
「悪ぃが、見てねぇよ」
それは本当の事だろう。ハウンドはもう一度、知らないのか、と繰り返した。その姿に何を思ったのか、話は終わりとばかりに背を向けようとしていたサンダークラッカーは頬を掻きながらそこから中々飛び立たなかった。
おかしな沈黙が広がった。あまり居心地が良いものではない。ハウンドはここは自分が退くべきだろうか、と考え口を開こうとして、止まった。先に相手が喋り出したからだ。
「あいつには言ってねぇんだろうな?」
声の低さは先ほどと同じだ。しかし質ががらりと変わっていた。それは先ほど荒れ狂っていた気象現象をハウンドの脳裏に呼び起こした。轟く雷鳴がその声に被る。
誰がとも、何をとも言わなかったが、ハウンドには分かった。彼らの事を誰かに話したのは、目の前の彼が始めてだ。そして思った。サンダークラッカーには言えたが、リジェには言えないだろうと。言ってはいけないのだと。それはきっとサンダークラッカーも分かっていて、だから自分にこんな事を聞いたのだ。
「ああ。・・・勿論だ」
「言うなよ」
「大丈夫だよ」
殊更、神妙にそして力強く頷いてみせると、荒れ狂う雷鳴の名を冠するに相応しい様相を見せていた顔が、へらりと崩れる。ハウンドの知っている、デストロンに似つかわしくない何時もの彼だ。
その顔を見て、身体からふっと力が抜けるのを感じた。知らず緊張していたようだった。そして思う。彼はやはりこちら側なのではないのかと。他人の、それも敵側の者を思って、彼は今、自分と向き合っていた。何百万年という長い時と戦っていて、初めて見たかもしれない真剣な表情は、倒すべきはずの相手を思うが故にそこにあった。
「君は」
きっと不機嫌になるであろう言葉を、ハウンドはあえて言う。
「君はサイバトロンに居るべきだ」
反論は無かった。サンダークラッカーはふいと顔を逸らせ、空を見上げた。雨はすっかり止み、雲の切れ間から薄っすらとした青色を覗かせている。
「お前さ」
サンダークラッカーはハウンドを見ずに呟いた。
「それ、あいつにも言えるのか?」
そして答えは聞きたくないとばかりに、飛び立った。それは驚くほど静かで滑らかな退場だった。ハウンドは何も出来ずに、そこに一人残された気分で、立ちすくんでいた。
静かなその言葉は、どんな雷鳴よりも強くハウンドを打ち据えたのだ。
<月光>
すっかり暗くなった荒野をハウンドは走っていた。
サンダークラッカーに去った後、しばらくその場所を動けなかったがやがて埒が明かないと彼は進み出した。考え込むのはあまり好きではない。じっとしているのは嫌いだ。動かなければ、進まなければ、何も出来ないのだとハウンドは知っていた。
散々荒れ狂って気が済んだのか、空はすっかりと晴れ渡り、雲一つない夜空を広げていた。星が瞬き、その中心で青白い月が仄かな灯りで地上を照らしている。ハウンドは純粋に綺麗だな、と感じた。
探し物はやはり見付からないし、悩みも尽きないし、痛いところをずけずけと突かれて気分は沈んでいたが、どう考えたって見上げる満天の夜空やこの先の見えない荒野に比べればちっぽけにしか思えなかった。
しかし今日は不思議な日だとハウンドは思った。くるくると変わる天候。色々な意味で名高いジェットロン三人組の内の二人に出会い、話をし・・・あれは馬鹿にされたうちに入るのだろうか。遠慮も容赦も無いこちらを気遣う気などこれっぽっちもない彼らのハウンドに対する言葉は、どれも優しさの欠片も無いものだったが、何故だろうか。瞬間的な怒りはあったかもしれないが、なるほど残ったのはそういう負の感情ではなかった。
責めて欲しかったのかな。そう思い、ハウンドはゆったりとスパークの内で笑った。
目の前に泉が見えた。湖と言うには小さく、荒れた土地にぽつんとそれはあった。申し訳程度に周囲を緑がぽつぽつと囲んでいる。ハウンドは走るのを止め、それの縁でトランスフォームした。アイセンサーに映る泉の水は深く澄んでいる。風の無い夜だ。晴れ渡る夜空を映し、静かに凪いでいる。鏡面のようだ、と映る真白の月を眺め、ハウンドはぼんやりと思った。
そしてふっと脳裏を過ぎる姿。探し人と、そしてもう一人。三人の内、二人に出会った。ならば、もしかすると。
まるでハウンドの考えを読んでいたかのように、さっと鏡面の泉に影が躍った。確信を込めて上空へと視線を移すと、そこにはやはり、月を背に佇む姿があった。
多分、彼も自分を馬鹿にするのだろう、とハウンドは考え笑った。笑いながら声をかけると、あからさまに馬鹿にしたような、それでいて興味津々といった声が返ってきた。どうやら機嫌は悪くないようである。
「やあ、スタースクリーム。こんばんは」
「ご主人様はどこいったよ、わんころ。一匹で散歩か?帰り道は分かるんだろうな、おい」
月に吼えて見ろよ、ワンワンと。暗がりでも良く分かるサディスティックな笑みに、しかしハウンドは怒りを覚えなかった。そういう気分なのかもしれない。先の二人で慣れてしまったのかもしれない。若しくは。今日はマゾヒズムに酔いたいのかもしれない。犬と呼ぶのならば、自分は囀る鳥など何時だって食い千切る事が出来るのだ。
厭味をあっさりと流したハウンドに気分を害したのか、それとも興味を惹かれたのか、月をバックに夜空に浮いていた男は、ゆっくりとした動作で地上へと降りてきた。
落ち着きの無いと思っていた男のその優雅とも言える所作に、ハウンドは内心でほうっと舌を巻く。何時もこうなら見る目も変わってくるだろうに、と考え、それはきっと誰に取っても良い事ではないのだと口に出す事はしなかった。今日は特別だ。おかしいのは自分か、それとも悪名高い三人のジェットロンか。
「何してんだ」
地上に降り立った派手なカラーリングの男が問う。素っ気無い様子に、その問いに意味が無い事をハウンドは知った。どうだって良いのだ、自分の事など。ただ、少し気になったから聞いてみただけ、なのだろう。
「探しているんだ」
これがまた中々見付からなくてね、君、見掛けやしなかったか?
肩を竦め、ハウンドは答えた。そして何も期待していない問いかけを続け、静かに鏡面に映る月をじっと眺めた。
しん、と沈黙が降りる。返ってきたのはありきたりな言葉だった。ハウンドは残念に思った自分に少し驚いた。
「知らねぇよ、んなもん」
そしてぴちょんと鏡面が跳ね、月が崩れ、ゆっくりと再び元通りに形作られていった。
「そう。知らないか」
返事は無い。代わりに再び、月が崩れ落ちた。ゆらゆらと歪む姿は、美しいのか醜いのか判別を付け難い。触れれば崩れる幻のようなそれはまるで。
「探しているのは、きっとこの月みたいなものなんだろう。手を差し伸べて共に有りたいと願うのだけど・・・駄目だ、いつも逃げられてしまう」
今度は自分で足元の小さな小さな石粒を蹴り、月を崩す。
「良かれと思ったのに、それが裏腹に出ると辛いな」
「馬鹿馬鹿しい」
心底、正真正銘、そう思っているのだろう、冷たい言葉だ。改めて隣に立つ男がデストロンなのだと、思い知らされる声だった。しかし恐ろしくは無い。
「そうかな」
「そうだぜ」
男は泉の縁に屈み、そっとその中に手を差し伸べた。引き上げた掌には黒い水がゆらゆらと揺れ、やがて落ち着きどこか歪ながらも世界を映す鏡となった。
真ん中に、真白の月が浮いていた。それを見て、男が笑う。
「簡単だな」
すっと細められた赤いアイセンサーと、吊り上げられた唇。男の掌の月はあっという間に握り潰されてしまった。
「それは偽物だ」
ハウンドはここに来て初めて、不快な気分になった。隠さず、声に乗せる。
「それがどうした?」
「お前は偽物を手に入れて嬉しいのか、スタースクリーム」
そしてそれを壊して楽しいのか。
「俺様は嬉しいぜ?ハウンド」
月明かりの下、愚か者の代名詞は笑う。
「偽物でも本物でも、手に入れればこっちのもんだろ?現に、ほら」
お前は不快になっている。偽物だと分かっているのに、お前はそれに心を動かされている。
濡れた指先がハウンドの頬をゆっくりと辿った。直ぐ傍で囁く声に気分が悪くなった。ハウンドはすう、と息を吸い、動いた。形勢の逆転はあっけなくなされた。不利なはずの男はやはり笑ったままだった。
「お怒りかい、ワンワン」
「まともにお前の相手をしようとした俺が馬鹿だった」
「全くだ」
悪びれない顔の、その聴覚センサーの傍に唇を寄せ、ハウンドはそっと囁いた。気分は良くなっていた。
「スタースクリーム。あまり犬の耳元で五月蝿くしてくれるなよ。食い千切りたくなってしまう」
そしてふう、と溜め息を吐いてはハウンドは立ち上がった。本当に馬鹿馬鹿しい事をしたものだと苦く笑う。
寝転がったままの男は立ち上がる気配を見せず、だからハウンドはそのままにしておくことにした。
立ち去る背に嘲りを含んだ声がかかる。
「サイバトロンってのはやばい連中の集まりだな」
そうかもしれないな、と思いながらもハウンドは答えなかった。トランスフォームし、さっさと走り出す。
思い出した。探し物というのは、案外元の場所にあるものだと。
FIN