HOLIDAY






ディエゴガルシア島。ヘリから降りその地を踏みしめ、レノックスは帰って来たのだと感じた。
正確にはこの地が、ではないのかもしれない。彼の所属する組織と、不思議な友人達の居る地。それこそが、帰る場所だ。
勿論彼が一番大切なものも、もっとも帰るべき場所も別にある。うつくしく聡明な妻と、彼の天使である愛娘が暮らす平凡で穏かな家。そここそ、真実レノックスの帰る場所だ。
だがそれとは違う意味で、紛うことなくこの島はレノックスに生の実感を起こさせる。生きていることがどれほど素晴らしい事か、どれほど稀有な事か分かるのだ。

目を閉じ、空気を肺一杯吸い込む。決して綺麗な空気ではない鉄やオイル、硝煙や排気ガスの混じったそれはとても美味いとは思えない。咽たように吐き出し、レノックスは笑った。
咽たせいか少し涙の滲んだ目を開ける。その目に映ったのは、人々が慌しく動き回る様と、その中を掻き分けるようにしてこちらへと近付いてくる一台の車だった。
黒のピックアップトラック。この場にあってなんら問題無いいかつい外見をしたそれは、特に目を引くものでは無い。無いが、それが通る時、作業していた整備士や、近くに居た軍人達は皆それに挨拶するように軽く手を上げた。
車は何も反応せず、こちらへと向かってくる。兵士や整備士は車の向かう先に レノックスの姿を認め、それぞれ反応する。気さくに手を上げる者、敬礼をする者、軽くお辞儀をする者。その様は千差万別だ。中には部隊の司令官であり、少佐という地位に軽く非礼である態度もあったが、レノックスは楽しげに笑い手を上げ応えた。
そうこうしているうちに、直ぐ傍にピックアップトラックがやって来た。良く見なくても、その運転席には誰も乗っていない。その車には誰一人として乗っていなかった。

「よう。お出迎えか」
からかうような口調でその車にレノックスが声をかける。するとやや乱暴に助手席側のドアが開いた。乗れという事らしい。
色々と疲れていたのでありがたく、レノックスはすぐさまトラックに乗り込み腰をかけた。疲れていたのもあるが、彼に色々と話したいこともあったので、丁度良かった。一番最初に会えたのも嬉しい。
ゆっくりと座席に持たれ、ふう、と息を吐く。走りだした車の振動が心地良い。沈黙も今はありがたい。どこへ行くのか聞かずとも、きっと彼はレノックスが行きたい場所へ進んでいる。

しばらくして先に口を開いたのはやはり、レノックスだった。沈黙が苦しくなったのではなく、喋りたいことがあったのだ。
「アイアンハイド」
名を呼ぶ。返事は無いが、それでも構わなかった。
帰還の挨拶代わりにダッシュボードを軽く叩いた。
ここへ着いて初めての、形式や儀礼ではない個人的なものだ。それを最初にお前に向けられて良かったというと、彼はどんな顔をするだろうか。レノックスは想像して笑った。
「何がおかしい?帰ってきて早々おかしなヤツだ」
スピーカーから聞こえる声は、どこかから受信したラジオなどではない。それは確かにこの車が発している意思だ。
少し不機嫌そうな声。元々、この車、アイアンハイドは短気であり言動が多少過激だ。まさしく叩き上げの軍人と言った感じで、レノックスは彼らの中で一番親近感を覚え、好感を持っていた。その巨大な図体と無骨な雷声も慣れてしまえば、ちっとも恐ろしくは無い。
「おかしい?いやいや、それは違うぞ、アイアンハイド。これは嬉しい、だ」
そのセリフの後に聞こえたのは、一際大きなエンジンを吹かす音だった。多分、きっと、彼がその形態を変えていたのなら、鼻に当たる部分から真っ白い煙を盛大に上げていただろう。
レノックスは声を出して笑い、再びダッシュボードを叩いた。

「アナベルがな」
その名を出すと、それまでやや乱暴な音を出していたエンジンが滑らかなものになった。まるで高級車のような静かさに、レノックスは流石は地上に舞い降りたエンジェルだと自分も娘を称える。鋼鉄の荒くれ男も、すっかり骨抜きだ。
「お前に会いたい、乗りたいって。最初に覚えたのは、ママ。次にパパ。そしてハイドだ。全く、この果報者め。折角お父さんが戻ったってのに、ハイドーどこーって言われてみろよ」
「当然だ」
どこか誇らしげに、そして隠し切れない喜色を滲ませ、スピーカーから声が流れる。先ほどとは大違いだ。
当然だ、とは一体どういった根拠なのだろうか。
「まあ、お前は小さいのに懐かれやすいからな」
笑いながら揶揄ってやると、むう、と唸り声が聞こえてくる。何故かアイアンハイドは小さい者、子供や小動物に懐かれやすい。隊員がペットを連れて来ると纏わりつかれ、子供を連れて来るとやはりべったりと張り付かれている。本人は実に不本意そうにしてあしらおうとしているが、どうにもそれが小さいモンスター達を逆に喜ばせる結果になっていることに、きっと気付いていない。
何時からか、隊員達の間で子供やペットと彼らの接触は、まずアイアンハイドからという事になっていた。普通はバンブルビーやツインズからだろうが、そこはやはり男の性なのだろうか。
「癪だけどな。アナベルの望みは真っ先に叶えてやるべき事だ。お父さんとしては、ほんと癪なんだけどな」
不本意ではない事を強調しているレノックスだが、実際はそうではない。アイアンハイドにはその声を聞けば分かった。こんな楽しそうな声で言われて、怒れるものかと思った。
「今度の休暇には、一緒に帰ろうぜ」
「・・・そうだな。アナベルの為なら仕方がない」
「おいおい、それだけか?」
「サラにも会わねばならんな」
そしてお前が世話になっているとうつくしく聡明な彼女を労わねば。
からかう言葉に、レノックスは笑って肩を竦めた。彼は自分が行っても良いのかとは聞かない。以前、それでもめた事があった。ほとんど無理矢理連れて帰って、今の状況がある。すなわち、すっかり彼に懐いてしまった愛娘と愛妻が、今度はアイアンハイドを必ず連れて来てねと別れ際に言う状況だ。
帰ってすぐに「車が違うわ」と言われたのは、レノックスを非常に複雑な気持ちにさせたが、おかえりの挨拶は先に貰えたのでそれで自分を慰めておいた。これが、会って第一声だった日には、きっとこんな気持ちで彼に会えなかっただろう。父親の威厳を保つのは実に難しい事だと、レノックスは感じている。それこそ、少佐の威厳を保つよりも難易度は高いかもしれない。

「・・・ゆっくりとお前と休暇を過ごすのも良いかもしれんな」
こんな事をぼそっと言ったりするから、お前は子供や小動物、果ては屈強な軍人に懐かれるんだ。レノックスはにやける顔を必死で引き締め、そうだな、と軽く同意した。
「時間があったら、途中ぶらぶらとするのも良いな」
そうやって何時になるか、下手をするとありえない事を計画する。レノックスが身を置く場所は人間には危険すぎる。戦場を越えた戦場だ。
そんな所だが、レノックスは退くはしない。妻と娘の為、人類の為、そして彼らと共にある事を他の誰にも譲りたくはなかった。

「おいおいおいおい」
軽い感傷に浸りかけていたレノックスの目に、はっきりと映りだした光景に呆れ、笑った。
基地の一角の広場。良く暇な隊員や整備士達がスポーツ等をして遊んでいる場所だ。ポピュラーな道具はあらかた揃っている。サッカーのゴール、バスケットのリング、野球のベース。
そこで人間がはしゃぎまわっているのは良くある事だ。問題は、そこに、全く別のものが紛れ込んでいる事にあった。
ずんぐりむっくりとした人型をした鋼鉄の固まりとでも言えば良いのか。思わず笑いを誘ってしまうフォルムのそれはふたつ。それらを交えて、行われているのはバスケットボールだった。
あんなのにファールされたら、どうなるか。ぞっとするよりも、レノックスは楽しそうだと思った。
「良くやるぜ、あいつら」
「この間はビーもいたな」
「ツインズならまだ分かるが・・・それは無理があるだろう」
「そうか。楽しそうだったぞ」
「なら・・・今度やるか?」
にやりとレノックスは笑った。彼らの楽しそうな姿を見ていると、危険だと分かっていてもやりたくなってくる。もしかしたら、良い訓練になるかもしれない。
「我らと、人間でか」
「・・・それは・・・流石に無理じゃないか」
彼らの中で一番大きなオプティマス・プライムが縦横無尽にあのコートを駆け巡る様を想像し、レノックスは少し肝が冷えた。ほんの数歩で端から端へ、上に投げずに下に落としてゴール。規格外にもほどがある。
更に、この2年間彼らとやってきて理解した事がある。オプティマス・プライムは素晴らしい人格者で聡明で大らかな指導者だが、意外にそそっかしい。ボケとツッコミで言うなら、間違いなくボケだ。おっちょこちょいとも言う。
一緒にゲームすれば、無事ではいられないだろうな。人間も基地も、そして彼らオートボットも。それがレノックスの出した結論だ。きっと間違いはないだろう。
「危険すぎる」
「同意する」
どうやらアイアンハイドも同じ気持ちになっていたらしい。少しげんなりとした声に、きっと彼はずっとそういう苦労をしてきたのだろう。

こちらに気付いたらしい、観戦者のひとりが駆けて来た。滑らかな動きでスイスイと華麗にやってくる。銀色が日光に映えてキラキラと光っている。
彼もまたアイアンハイドを慕っている者のひとりだ。人間ではなく、鋼鉄の身体を持つトランスフォーマーのひとり。名はサイドスワイプ。
その後からゆっくりと歩いてくるのはエップスだ。そういえば見かけないと思ったら、こんなところでサボっていたらしい。愛用のipodはしっかりと装着済みだ。

その姿を認め、レノックスは降りようとドアに手を伸ばした。しかし手は空を切り、危うくレノックスは外に転がり出るという無様な姿を晒すところだった。アイアンハイドがノブにレノックスの手が触れる前に、ドアを開けたのだ。
バランスを崩しかけたがなんとか持ち直して外へ出たレノックスは、彼のタイヤを思いっきり蹴っ飛ばした。痛いのは自分だと分かっているが、やらねばならないという使命感があった。コインかナイフが直ぐに手許にあれば、自慢の黒のピカピカのボディーに傷を付けてやれるのにと憤慨する。
「覚えてろよ、アイアンハイド!」
「油断大敵だな、レノックス」
中指を立て啖呵を切ると、珍しいくらい楽しそうな声が返って来た。
エップスに荷物を放り投げ、レノックスは袖をまくった。一暴れしないと気が治まらない。大声で叫ぶ。

「俺も入れろ!」
バスケットコートから歓声が上がった。





FIN