無明の道を往く





赤と青に彩られたトレーラートラックが海岸線を走っていた。道ではない道を往く。
すっかりと日は落ちている。オプティマスがフーバーダムを出てもうすぐ二日が過ぎようとしていた。
本来ならば一日で辿り着ける距離であった。理由を偽り出てきた以上、時間をかけるのは好ましくないとはオプティマスも分かっていた。しかし彼にはそれができなかった。結果、二日かかり、そして全てが闇に紛れる時間になってようやく、彼はそこに辿り着いた。
緩やかな波が押し寄せては返す小さな砂浜だった。きっとシーズン中には穴場として重宝されているだろう。いや。道路からあまりにも離れている為、知られずにいるのかもしれない。美しい砂浜には屑ひとつ落ちていなかった。

周囲数キロに人間の反応が無いことを確認して擬態を解く。赤と青の鮮やかなトレーラートラックは人体に似た形態を持った巨体を露にした。
その巨体に見合った足跡を砂に刻みながら、オプティマスは波打ち際へと近付いた。

呼ぶ声はここへ来て全く聞こえなくなった。しかし声の代わりに感覚中枢が嫌というほど彼の存在を捉え主張していた。ただ、姿だけが見えない。
会いたくない。それがオプティマスの想いだ。もう二度と会いたくなかった。それなのに導かれるままにここへ来た。二度と会いたくないが、同時に会えるのならばもう一度会いたい相手でもあった。彼に関してオプティマスの感情は矛盾している。機械生命体にとって有り得ない状態であった。故に、彼の理論中枢は解を出すことを受け付けない。ずっと、それこそ開戦当時からオプティマスはその感情を未解のまま抱え続けてきた。

オプティマスは小さくため息を付いた。瞳に灯る光が数回瞬いて、消えた。
何故、私を呼ぶ。
それほどまでに私が憎いのか。疎ましいのか。生きていることが許せないのか。
あの時、私がお前に殺されていれば良かったのか。それでお前の狂気は納まったのだろうか。
拳を強く握る。ぎしぎしと関節が軋み嫌な音が鳴った。もう少し力を入れれば手は潰れてしまうだろう。
オプティマスは思いっきり叫びたくなるのを堪え、代わりに万感の想いを込めて小さく呟いた。
メガトロン、と。

呼ぶ声に応えるように、暗い海が割れた。微かな月明かりを受け、闇夜にその姿が浮かび上がる。滴る海水もそのままにそれはオプティマスへと近付いてきた。
オプティマスはそれをただ静かに見ていた。その姿を目にするまで色々と悩んでいたことが全て吹っ飛んだような気がした。そして笑う。ああ、そうだ。自分はいつもそうだ。あの時もそうだった。
もう一度彼を殺そうとも、殺されようとも、自分はただ受け入れる他は無い。長い長い時を思い悩もうとも、決断は一瞬のうちに成される。

「メガトロン」

オプティマスは手の届く距離に佇む男に今度はしっかりと音声に乗せて呼びかけた。穏かな声を出せたと思う。そしてそんな声を出す一方で、密かにすぐに迎撃態勢に移れる準備をしている自分を認める。愚かなと思い、しかしこちらから攻撃する気はないのだと誰にとも知れず言い訳めいたことを考えた。

「オプティマス」

メガトロンは臨戦態勢を取らずに更にオプティマスに近付いた。その無防備さがオプティマスには不気味に、そして恐怖にも似たものを感じさせた。今更ながらに思う。戦いとはなんと単純であり明確なものであったか。
オプティマスは今度こそはっきりとした迎撃態勢を取った。
「お前は死んだはずだ、メガトロン」
静かに問う。本当に聞きたいことは違うはずだ。しかし明らかにせねばならない問題だった。
「その割にはお前は驚いてはいないのだな、オプティマス」

先ほどもそうであったが、メガトロンの声は静かで穏かだった。オプティマスは思う。一体どれほど久しく聞いていなかった声だろうか。そして前回に聞いた記憶が回路より導き出された。何百万年経とうと、どれほど膨大な記憶の中に埋もれようとすぐに見つけ出した自分に驚く。
しかしその動揺をオプティマスが表に出すことはない。
「呼んでいたのはお前だろう」
死んでいてくれた方が良かった。呼ばれない方が良かった。再び殺し合うことになるのならば。
「何故・・・生き返った。何故私を呼んだ。何故、私の前に現れたっ!」
感情が制御出来ない。オプティマスの冷静な部分が取り乱し始める自分の姿を静かに見ていた。
「何を考えているっ!メガトロンッ!」
ほとんど叫びに近い声だった。
オプティマスはメガトロンに掴みかかった。エナジーブレードを作動させなかったのは奇跡に近い。肩を掴んだ手を強く握る。それはじわじわとメガトロンの肩を傷付けた。
メガトロンは反撃するでもなく、じっとオプティマスを見ていた。彼は成されるがままに立っていた。ただ、そのだらりと垂らされた腕が時折震え、指先が何かを求めるように空を掻いた。
「オプティマス」
出来たのは名を呼ぶことだけだ。もう何を言ったところで彼には届かないだろう。
しかしこれだけは伝えておかなければならない。彼が信じようと信じまいと。
「オプティマス。俺にはもう争う気はない。理由も・・・無くなった」
返事は無かった。肩を掴む手に更に力が篭る。関節の駆動に支障が出るかもしれない。しかしオプティマスの手を払う気はなれなかった。
「信じられないのは無理もない。俺自身それを期待してはいない。ただ言いたかっただけだ。・・・殺せ、お前の手で。オールスパークの無くなった今、最早再び蘇ることもあるまい。もう、二度とお前の前に現れることもない」
やはりオプティマスは何も言わなかった。代わりに肩から手をどけた。少し距離が出来た。
オプティマスの視線は逸らされたまま、メガトロンを見なかった。
「手を出せ」
勿論、オプティマスは素直に従うはずもなく、逆に彼は拳を握り締めた。
「俺の中に残っていたオールスパークの欠片だ。これが俺を蘇らせた」
言いたいことが分かったのだろうか。はっとオプティマスが顔を上げる。視線があった。
「全てが溶け込む前にオールスパークが壊れたことによって、自我と意識が消えずに済んだらしい。この欠片の中に残っている」
誰がとは言わなかった。
オプティマスはやはり手を出さなかったが、メガトロンは強引にその手を掴み、欠片を渡した。
オプティマスがのろのろした動作で掌の小さな欠片を見た。小さくその名を呟く。
「ほんとう・・・に」
「間違いないだろう。俺が証拠だ。身体は置いてあるのだろう?情報として残っているのはこの星に来てスパークを失ったものだけだ。・・・新たな命を創り出すことも無理だ」
つまりは故郷を復興させることはもう無理だということだ。メガトロンが欲した莫大な力も、オプティマスが欲した再生の力も、最早失われてしまった。
ただ、少し前に死んでしまった彼を蘇らせる力だけが残った。

「私が持つ欠片では無理、だった・・・」
あれからオプティマス達もジャズの蘇生を試みた。ラチェットは一体どれほど休むことなく手を尽くしただろう。オールスパークの欠片に一縷の望みを託し、しかしそれは成されなかった。
「俺のスパークはオールスパークと融合した。そこで全てを知った。残念ながらもう記憶回路から消えかけているがな。蘇生させるのも方法があるということだ」
「・・・方法」
「そうだ。このメモリーチップだ。お前に直接接続しなくてもこの星の機械で見れる」
「メガトロン」
「さあ、話は終わった。殺すと良い」
「今更何故・・・なのだ」
「・・・我々の記憶回路や感情制御もあてにならないということだ。オールスパークとの融合はかつての感情を思い出させた。おかげで全てが馬鹿らしくなった。ただ、それだけだ」
「かつての感情・・・」
「オプティマス。俺は後悔はしてない。自分の望みの為に生きた。俺は自分の欲望に生き、そしてそれを止める為にお前は生きた。俺に許しはいらんが、オプティマス。お前が負う責ではない。背負うな」
「メガトロン」
「さあ。殺せ。そして蘇らせてやれ。・・・もしお前にその気があるのならば、連中も蘇らせてやってくれ。厄介ごとにしかならないかもしれんがな」
そう言ってメガトロンは笑った。皮肉や嘲笑ではない純粋なものだ。そしてゆっくりと視覚センサーを閉じた。赤い眼光が色を失くす。

オプティマスはそれをじっと見ていた。メガトロンは殺せと言った。ありとあらゆる状況が彼を殺すべきだと言っている。この星の為にも、人間との和平の為にも。
彼をかつてのように信じることが出来ない。それは事実だ。彼と袂を別たった時のあの感情をオプティマスは忘れることなど出来ないだろう。どれほどの絶望を感じただろうか。
再び裏切られるのはもう御免だった。
それでも、それでも尚、オプティマスはメガトロンを求める自分がいることを知っていた。ずっと、ずっと求めていた。愚かだと思いながらも、もう一度と願っていたのだ。

オプティマスは決断した。これからも思い悩むだろう。先にあるのは後悔だけなのかもしれない。
それでも新たに分岐した道の先を見てみたい。そう思った。もう一度、彼の手を取って進めるだろうか。不安ばかりだ。
これほどまでに我欲で道を選ぶことが難しいことだったとは。オプティマスは小さく笑った。
そしてじっと自分に殺されるのを待っているメガトロンの手を取った。柔らかく握る。不審に思ったのか、メガトロンが視覚センサーを起動させ、赤い光が再び灯った。視線を合わせる。赤と青が交叉する。
「オプティマス・・・」
「メガトロン。私はお前を信じることは出来ないだろう。もう裏切られるのは嫌だ。しかし・・・殺すのも嫌なんだ」
「人間は受け入れんだろう」
「彼らは我々が思うよりもずっと強かだよ。驚くほどに。無理だというならば、その時こそ・・・」
「好きにしろ。全ての決定権はお前にある」
「ありがとう。メガトロン」
オプティマスは再び笑った。それを見てメガトロンは小さくため息を付き、そうしてそろそろとオプティマスの肩に手をかけた。抱き寄せる。微かな躊躇いの後、オプティマスはその腕の中に納まった。

あまりにも久方ぶりの抱擁だった。
泣きたくなるような幸せの痛みとはこのことかと、オプティマスは人間の持つ感情のひとつを体感した。





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