Minha Namorada 8
※ジャズがラチェットの治療により復活、バリケードが生存している、というIF設定のお話です





「よう。お疲れさん」
バリケードが自分に与えられた部屋の扉を開くと、中にすっかり我が物顔で居座る男がいた。
開ける前から、それこそラボを出る前から分かっていたことだ。しかしバリケードにはここに戻る以外の選択肢は無かった。
「邪魔だ」
出て行けと言外に含ませ、睨みつける。ひとりになりたかった。
かつてバリケードの知っていたこの男なら、こちらの不機嫌の度合いを察知し、何も言わずに離れていった。踏み込むべきではない領域というものを理解していた。だからこそ、バリケードは彼に敵でありながら時に隣に立つことを許したのだった。
以前の彼ならば、出て行くはずだ。そして今の彼はきっと出て行かないだろう。分かっていてもバリケードはそう言わずにはいられなかった。
しかし男は軽く肩を竦め、立ち上がった。そして扉の方、バリケードの居る場所へと向かい歩き出した。そう広くない部屋だ。あっという間に男はバリケードの正面に立った。
出て行くのか。バリケードは少し意外に思いながらも、身体をずらした。入れ違うように奥へと向かう。一歩踏み出し、そして素早く振り返る。両腕をクロスさせてガードするのが精一杯だった。思い通りに動かぬ身体とは裏腹に、回路はカウンターを繰り出すところまでの動きを算出していた。瞬時に感情回路を染め上げた怒りは、そのことに対してか、それともいきなりの男の行動に対してか、判別出来なかった。
「貴様っ!」
腕に受けた衝撃は更にバリケードのバランスを奪った。ぐらりと身体が傾く。
「本当に、受けたんだな」
男がゆっくりと左脚を下ろす。複雑な表情を浮かべ、バランスを崩したバリケードを支えるように肩に触れた。
「離せ」
「なあ、バリケード。アンタ一体何を考えているんだ?」
「何を言っている」
両肩をしっかりと掴まれ正面で向き合う。青い光が不安げに揺らめいているが、バリケードには理解出来なかった。何を考えている、それはこちらの台詞だ。
「離せと言っている」
今の自分ではこの腕を引き離すことが出来ない。情けなさと苛立ちがバリケードの感情を波立たせた。選んだのは自分だ。今はただそれだけが縋るものだった。

肩を掴む手が離れた。バリケードは知らずほっと息を付く。しかしその安堵も一瞬だった。今度は手を掴まれ、そして男は再び、寝台の方へと歩き出した。
引き摺られるようにその背を追いながら、早々に諦めてしまった方が楽だとバリケードはそう思った。最早、男の隣はかつての心地よさを失った。あの距離を自分は知らず求めていたのだろう。だから、あの時、あの手を取った。少しだけ時間が欲しいと願った。全て、間違いだったのだ。馬鹿馬鹿しい。制御をかけて手にした答えがこれだ。

寝台に投げ出されるように倒される。覆いかぶさる影に、バリケードは静かに溜め息を付いた。好きにすれば良い。これで全て終わりだ。
閉じた視覚センサーの上を何かが覆った。同時に身体を覆っていたものが無くなったのを感じた。
掌だ。視覚を覆うものの正体はすぐに知れた。
そして小さな声で男は話し出した。聴覚センサーのすぐ傍で話しているのだろう。小さな小さな声だった。
「死んじまった時にさ、色々思い出したんだ。確か、ああ言うのを人間は走馬灯って言うらしいな。通常じゃあ処理出来ない量のデータが、次々に解析されて浮かび上がっていったんだ」
男は一度言葉を切った。視覚センサーを覆う掌はそのまま、残されたもうひとつの手がバリケードの投げ出されていた手に触れる。
「まあ、見事にああすれば良かった、こうすれば良かった、ってことばっかりだった。だけど、俺はあいつを、あの人を護れたなら良いか、って思った。・・・良いって思ったんだけどな、バリケード。アンタとの思い出までも出てきやがった。怖かったぜ。なんでここでアンタなんだろうって。ディセプティコンじゃん。敵だぜ。戦っている場面より、並んで立っている場面の方が多いんだ。何でだろう、って考えた。そしたら唐突に答えが出ちまった。・・・いいや。きっと知ってたんだろうな。認めちまったってのが正しいか。認めたくなかったのは、心地良かったからだ。アンタと居るのが。顔を合わせたら戦いばっかりで、だけど偶に居るアンタの隣が心地良かった。アンタは何も聞いてこないし、何も言わない。誰にもない距離だった。それが壊れるのが嫌だった」

触れるだけだった手が、重ねられる。バリケードはそれを振り払いはしなかった。同じだ、そう思った。しかしだからそれがどうだというのか。自分は今も壊したくなかったのに。勝手なことを言うな。バリケードのスパークがじくじくと痛んだ。
「だから、ずっと知らないふりをしてたんだ。なのに最後の最後でダメだった。馬鹿だ。俺は何を怖がっていたんだろうな。何を恐れていたんだろうな。言えなくなって気が付いた。自分がどれだけアンタに伝えたがっていたかって。失くして気付いしまった。後悔したぜ。言えば良かったって。もう間違わないって思った。もうどうしようもないのにな」
重ねた手を握り締める。握った手は成されるがままで、握り返されることはなかった。振りほどかれはしないが、応じることもない。それは正に、今までのジャズとバリケードの関係だった。しかしジャズは望んでしまったのだ。握り返す掌の感触を。もう恐れることはなど無い。一度死に、その恐怖を味わった。全てを失う恐怖。取り返しの付かない終わりを知った。このやわらかい拒絶にはまだ先がある。
「・・・生き返って、アンタはまだ生きているかもしれないって聞いて。俺はどんな気持ちだったと思う?・・・冗談じゃないって思った。そんな幸運あって良いのか?なあ?」
自分にとってはとんでもない不幸だ。バリケードは思った。ジャズは言葉を続ける。
「もう自分を偽るのはやめだ。確かにそっちの方が楽だけどな、結局最後にツケは来るんだ。なあ、バリケード。偽ったって何時かはバレるんだぜ。自分は偽れないんだ・・・絶対に」

ふざけるな。バリケードは大声でそう罵りそうになった。何を勝手なことを。感情回路が怒りに支配される。咄嗟に手が出なかったのは、まだ冷静な部分があったからだろう。それ以外に何かあるなど、考えたくもなかった。
握る手を振りほどく。自由になった手で顔を覆う掌を払いのけた。上体を起こし、赤い光に浮かぶ怒りを隠さずに男を睨んだ。男は床に膝を付き、寝台を見上げていた。いや、見上げていたのはバリケードの顔だ。

「ふざけるな、ジャズ」
自分でも意外なほど冷静な声が出た。その静かさに、バリケードは自身の怒りの深さを知った。
「貴様に何が分かる?勝手なことばかり言いやがって・・・。貴様の言っていることは手前勝手なことばかりだ。貴様はそれで良いだろう。言いたいことは分かるさ。・・・それを俺に押し付けるな」
「バリケード」
「ジャズ。俺は嫌いじゃないかった。だが今の貴様の顔は見たくもない。裏切られた気分だよ。・・・殺せ。最早、意味は無い。茶番は仕舞いだ。俺が貴様の大切なものとやらを傷つける前に殺せ。殺させてやろう。それで満足しろ」
「バリケードッ!」
ジャズが立ち上がる。視線の位置が逆転した。
バリケードはジャズを見上げ、不思議と自分が落ち着いていると思った。殺されてやる。ああ、考えてみればとんでもない譲歩じゃないか。小さく笑いが漏れた。直後、頬に衝撃が走る。思いっきり殴られたと分かったのは、自分の身体が寝台に倒れてからだった。
「ふざけるなっ!なんで俺がアンタを殺さなきゃいけないんだよ!俺は生きてくれって言ったんだ!」
拳を振るわせ、ジャズは激昂した。バリケードを殴ったということに気付いていないかもしれない、そんな状態だった。

バリケードはそんなジャズを見上げた。どこかぼんやりとしている。痛みが徐々に広がっていく。何故か、怒りは沸いてこなかった。
「なあ。簡単に殺せなんて言うなよ・・・。やめてくれよ。死ぬなんて軽々しく言うなよ!知らないくせに・・・どんなことが分かってないくせに!」
ジャズの声が震えている。いや、身体も震えていた。
何を今更。殺しあってきた仲ではないか。バリケードはそう思ったが、声には出さなかった。死の覚悟。それは自分達の身近であったはずだ。
「俺は・・・」
続く言葉が出てこなかった。そして自分の声もまた震えていたことに、バリケードは気付いた。
「今更だと思うか?全くその通りだよ。俺だって何体も殺してきたさ。覚えてねぇよ。けどメモリーには残ってる。その数だけ殺されることを覚悟してたさ。だけどな・・・なんなんだよ、あれは。覚悟してた?ふざけるなよ。いざ死んでみろよ。自分の覚悟なんてあっさり覆されたぜ。後悔ばっかりだ。死にたくない。なんで死ななきゃならないんだ。なんで、俺が。なんで、俺なんだよ?なあ!死にたくねぇよ。死になくなんてなかったよ・・・」
ゆっくりとジャズの身体が崩れ落ちた。バリケードの肩に重みが掛かる。背に腕を回され、抱き締められた。いや。縋り付く、その方がしっくりとくる状態だった。
「もう死にたくねぇよ。あんな絶望二度と味わいたくねぇ。アンタに会いたかった。アンタに会って言いたかった」
バリケードは何も言えなかった。拳を握った。手が勝手に動きそうで怖かった。
「生きてくれよ・・・。死ぬなんて言うな。折角生きてるんだぜ。生きてなきゃ、何も出来ないんだぜ。なあ。何が起こるか分からないんだ。でも死んじまったら、何も起こらない・・・何も」
バリケードは小さく溜め息を付いた。なんて声を出すのだ。
「・・・俺が応えるとは限らんぞ。それでも生きろと言うのか」
それが望みのはずだ。それを拒まれ、それでも自分が生きることを願うのか。
「・・・良いよ。俺は諦めるつもりは無いから。生きていれば、それだけでひとつ有利なんだぜ」
死んでいる相手は何も返さない。生きていること、それはひとつの希望だ。
「俺は一度失った。だからもう迷わない。バリケード。俺はアンタに惚れているんだ。だから生きてくれよ。死ぬなんてもう言うな」
聴覚センサーのすぐ傍で囁く。縋るような声だ。ジャズは自分自身でそう思った。バリケードは情けないことだと思っているだろう。だけれども、もうどうしようもなかった。抱き締める腕に力が篭った。
バリケードは何も答えず、ひとつ小さな溜め息を付いた。そしてその腕をそっとジャズの背中に回した。





NEXT→『9