Minha Namorada 9
※ジャズがラチェットの治療により復活、バリケードが生存している、というIF設定のお話です
「じゃあ、俺、戻る」
ジャズがそう言うと背中に回されていた腕はあっさりと離れた。それを寂しいと思いながらも、少しだけ有難いと思った。
迷わないと決めた。しかし恐れが消えた訳ではない。他人を求めることの難しさ、執着することの苦しさ。自分を見失いそうになることは恐怖であり、だからジャズはそういう意味合いにおいて、ずっと誰に対しても深く踏み込むことはしなかったし、させなかった。
初めて踏み込もうとしている。それもきっと同じ恐れを抱く相手に対して。
まるで初心な娘のように、酷く緊張して恐怖して、そして求めている。今までの経験はまるで役立たずだ。
離れていく身体を繋ぎとめることすら出来ない自分がおかしい。同時にどこか誇らしいとも思った。
二人の間に少しの距離が出来た。寝台に座って向き合っている。ジャズが肩を竦めて笑うと、バリケードはふん、と鼻を鳴らした。
「それじゃあ」
ジャズはゆっくりとした動作で床に降り、立ち上がった。気の利いた台詞のひとつも出てこないのがおかしかった。
「おやすみ」
返事は無いだろう。そうジャズは思い、そのまま扉へと向かった。
「・・・あぁ」
だから扉を出る直前に、小さな声が返ってきて思わず振り返ってしまった。そこには何食わぬ顔をしたバリケードがいた。
「何をしている?さっさと出て行け」
そしてそんなことを言うのだ。ジャズは笑いを堪えるで必死だった。勿論、嬉しさをかみ締めながらだ。
「おやすみ、バリケード」
先ほどより、柔らかな声が自然と出た。そしてくるりと彼に背を向け、廊下に出た。後ろで扉が閉まる。
「まったく我ながら情けないな」
歩きながら小さく呟く。距離など無いに等しい隣へと移動し、そしてその扉の前で止まった。掌を見る。震えていた。
「しっかりしろよ、ジャズ」
何も出来ずに消えてゆくのはもう嫌だ。
銀色の機体の姿が、扉の中に消える。広い廊下はしん、と静まり返った。
朝、ジャズが目覚めると隣の部屋の反応が消えていた。
一瞬、逃げたか、と考え、すぐに否定する。そんな単純な行動を彼が起こすはずがないのだ。どれだけ迷っていようとも。だからこそ。
一息付き、周囲をスキャンする。エントランスとは違う、人間達のいうリビングのような用途の部屋に反応がみっつ。ふたつは嫌というほど馴染みあるもので、そして残りのひとつは新しい隣人のものだった。
ジャズの論理回路に軽い衝撃が走った。驚きと、それに隠れていた小さな・・・嫉妬のようなもの。
彼が部屋の外へ出ることは予測出来ることだった。大人しく駆動系の制御を受けたのは、きっと自由に動き回ることとの引き換えだったのだろう。変なところで律儀で、そしてやはり酷く束縛を嫌う性格だと思った。
だから、部屋の外に居ることは良い。しかし、まさか、他の仲間と一緒に居るだなんて、予測出来なかった。いや。もしかしたら予測していたのかもしれない。ただ、予測と期待は違うもので、期待に目がくらんでいただけなのだろう。
目覚めて最初にこの部屋を訪ねてくれるかもしれない、自分が迎えに行くまであの部屋から出ないかもしれない、そんなことを密かに期待していた自分に笑う。
馬鹿だ。しかしこれは当たり前のことなのだ。これらのささやかな望みを抱くことは、当然のこと。そして期待が当たらないことの痛みも、周囲に嫉妬してしまうことも。自分が向き合うと決めたのはそういうものだ。
「やっぱきついよな・・・」
立ち上がって溜め息を付く。
「でも・・・こういうのも良いよな。うん。なんか良い」
人間のように伸びをし、ジャズは笑った。軽い足取りで扉に向かう。向かう先は勿論、三人の居る場所だ。
「ハイ」
ジャズがそこに着いた時、三人はリビングルームに置かれた椅子に座り、何かを話しているようだった。バリケードは机に肘を付きながら少し不機嫌そうに、しかしそれでもちゃんと話に入っているようだった。ちりっとスパークが軽く弾けたが、無視し、軽い調子で声をかけた。
「おはよう、ジャズ」
「おはよう。少し遅いんじゃないか」
オプティマスが柔らかく微笑み、ラチェットが厭味交じりに答える。バリケードはちらりと視線を寄越し、すぐに逸らした。
「この星じゃあ、年寄りほど早起きらしいぜ、ラチェット」
にやりと笑う。厭味に厭味で返し、迷うことなくバリケードの隣にあった椅子に腰を下ろす。
「自分が若造だと認めているようなもんだな」
「こら、やめないか、二人とも」
朝っぱらから舌戦を繰り広げようか、という二人をオプティマスが止めた。今は笑っているが、制止を聞かずにいると彼はひどく哀しそうな顔をする。それは朝から見たくはない、とジャズは大人しくなった。ラチェットもまた、口を噤む。
「何を話してたんだ?」
気を取り直して、ジャズは口を開いた。
「気になるのか」
ラチェットがにやりと笑った。さっきオプティマスに窘められたのをもう忘れたか、この老いぼれ!という台詞はスパークの内に留めておくことにし、出来るだけ軽く見えるように悪いか、とジャズは言った。
その姿を見、ラチェットはというと、必死で噴き出すのを堪えていた。ここで笑うのは拙い。流石にそう思うのだが、これは。
きっとジャズは必死で隠そうとしているのだろうが、どうみてもそれは無駄に終わっている。まるで拗ねた子供だ。あのジャズが。ああ、彼は本気なのだ。そう思うとラチェットはひどく優しい気持ちになった。だからといってこみ上がる笑いが収まる訳ではなかったが。
「・・・アンタ、笑ってんのバレバレだから」
「プッ」
ジャズが不貞腐れたようにそう言い、堪え切れなかった笑いがリビングに響いた。
「あ・・・、いや、うむ。で、何を話していたかというのはだな――」
全員の視線がオプティマスに注がれた。彼は少し挙動不審になり、そして何も無かったようにさらりと言葉を続けた。
逃げたな。全員がそう思ったが、誰も追及はしなかった。
三人が話していたことは、セイバートロンに居た頃の事だという。それはジャズが知らない世界のことだった。
話はそれなりに聞いている。記録も見た。しかしそれらは全て断片であり、ジャズはあくまで過去を見る立場でしかない。そこにジャズが登場することはない。
オプティマスの話で思い出したのか、ラチェットがバリケードに向き直る。二人は隣合って座っていた。
「だからな、バリケード。お前さんの協力があれば、私の研究は一気に進みそうなんだ。いや、進む」
ぐっと顔を近づけ、力説するラチェットをバリケードは面倒臭そうに見ていた。しかし嫌がってはいない、そう隣で様子を見ながらジャズは思った。
「オプティマス。ずっとこんな調子なのか?」
「ああ。どうやらバリケードの専門知識があれば余計な調べ事が一気に減るらしいぞ。医療の飛躍的な進歩だと言われたら、私も止める訳にはいかないからな」
「医療だけじゃない気もするんだけどな・・・」
「・・・まあ、そう言うな、ジャズ」
『きっと彼の居場所を作ろうと、そういう気持ちもあるのだろう。私はそう思うよ』
オートボット専用の閉鎖回線でオプティマスがジャズにメッセージを送ってきた。
「そういえば、アイアンハイドは?反応が無いようだけど」
『まぁね。でもきっと探究心の方が大きいぜ、ラチェットは』
笑い混じりに同じく閉鎖回線でジャズは答えた。そうやって馴染んでいって、もう死ぬなんて言わなくなって、そして・・・オートボットとして共に生きれたら良い。
ラチェットの勧誘は尚も続いている。バリケードが折れるのも時間の問題だろう。
「ああ、彼はレノックス大尉のところへ朝早くに出かけたよ。アナベルが、と言い置いてな」
「お姫様か」
二人は顔を見合わせ笑った。その笑い声に、面倒臭そうに一言、分かったという声が被った。更にジャズとオプティマスは笑うのだった。
週末。バンブルビーはサムとミカエラを乗せ、フーバーダムへと向かっていた。
気になって仕方が無い、けど・・・という態度のバンブルビーを見かねたミカエラが行こうと言ったのだ。こういう時、彼女は本当に強い。サムはそう思い、惚れ直すのだった。
車内で他愛も無い会話をしながら、黄色いカマロは走った。なんとなく、誰もその話題に触れなかったが、気持ちはそちらの方へと向いているのだろう。三人とも、どこか上の空だ。
ダムに着き、基底部へと向かう。エントランスに出迎えに来ていたのだろうオプティマスの姿に、サムはひどく安堵した。きっとミカエラもバンブルビーも同じだろう。緊張が解けた、そう感じた。
「やあ、オプティマス」
「こんにちは。オプティマス」
「ただいま、オプティマス」
口々にその名を呼ぶ。穏かに笑いながら、彼はその口を開いた。低く優しい声が響く。
「やあ、サム、ミカエラ。ようこそ。そしておかえり、バンブルビー」
そして続けた。
「彼はラチェットとラボに居るぞ。今は行かない方が良いだろう。で、ジャズがすっかり拗ねているから、会ってやってくれないかな」
右のアイセンサーの光を落とし、瞼のような部品を閉じるように動かす。それはまるでウィンクのようで――実際そのつもりなのだろう――楽しそうな声と相まって、とてもチャーミングだ。ミカエラはそう思い、とても楽しくなった。
「勿論よ!後で彼にも会えるのかしら」
オプティマスがそんな仕草を見せたことで、ミカエラの不安はすっかりと無くなってしまった。そして、そう。女の子は恋愛話が好きなのだ。首を突っ込むことが大好きなのだ。彼女の例外ではなく、不安が無くなったことによって、好奇心がむくむくと膨れ上がった。
サムはちょっとだけジャズに同情した。いや、彼の場合有難いと思うのかもしれない。ここに居るオートボットの面々を脳裏に描き、こういうことの相談には向かなさそうだ、と肩を竦めた。勿論、自分も向かないだろう。バンブルビーはどうだろうか。ふと、そちらに視線を向けた。
バンブルビーはにこにこと笑っていた。視線が合う。彼は照れくさそうに頬を掻き、楽しそうで良かった、と言った。
「ビー」
「ねぇ、サム。皆、楽しそうで幸せなのが一番だよね」
「・・・うん。そうだね」
ああ、本当に。サムは思った。彼らはなんて賢く強く優しい生き物なんだろう。泣きそうになった。誇らしい友人を持てたことにサムはまだ見ぬ神に感謝した。
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